piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

数日前のニュースで思ったこと

以前の投稿でちょっと言い足りなかったところをちょっと補足しようと思う。

たまたま数日前、お昼のニュースで「所在不明の子どもが141人」ということをやっていた。

もちろん、いろんな事情があって「届出を出していない」という子どももいるだろう。たとえば不倫の末に生まれた子どもとか…?でもそれでも「非嫡出子」として届けを出すだろうから必ずしもそうではないのかもしれない。

ただ、『最貧困女子』を読んだせいなのか、「ん?もしかして、いわゆる”役所への届出や手続き関係がてんでダメ”な人の子どもなのかもしれない…」と勘ぐってしまったのだ。

もしもそうならば、「役所に届出をしていない」ということでいわゆる「公の福祉サービス」からも漏れてしまうし、何かの虐待や問題があっても行政が踏み込めないことになってしまっているのかもしれない。以前に役所が所在をつかめないでいる子どもが虐待を受けていて亡くなったというニュースも耳にした。


『最貧困女子』でも登場してきた女性または少女たちは、えてして”既存の”福祉施設や作業所にもなじめなかったりして結局「路上」へ戻ってしまうというような記述があったと思うが、すでにそうなっている時点でそういった「最貧困の」女性またはその子どもたちをどうにか救済する方法がないのだろうか。

 

だけどそもそも、どんな状況であっても(親がそろっている、いない、経済的に裕福な家でも貧しい家でも)本来子どもの誕生、家族が増えることというのは「喜ばしいこと」でもあって、社会としてもこれからの地域、ひいては日本の国の「力」となるべく存在なのに、すでに生まれたスタートの時点から社会的にその子の存在をなくしてしまうということはある種の「虐待行為」なのではないだろうか?

今、「出生率を1.8までに引き上げる」とか、産めよ、増えよという旧約聖書の創世記ではないけれど「とにかく女性は国のためにたくさん子どもを産んでね!しかもバリバリ働いてね!」という流れになっている。ただ産んで増やすだけでいいのか?結局生まれてきた子どもたちがトータルの面でハッピーでなければ意味のないことになってしまうのではないだろうか。