piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

猫がいたっていいじゃない。


子育てとペット飼育は違う : 妊娠・出産・育児 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 

数日前にtwitterで猫の話をグダグダ書きながらあれこれ調べていたら、ついつい見つけてしまった。

案の定トピは子育てとペットを飼った経験のある人の意見、また友人と同じように「子どもはいないけれどペットを飼っている」という状態の人の意見で大荒れに荒れていた(まぁ、よくあることだけど…)。

まぁ、そりゃ人間の子どもを産み育てるというのは幼猫を拾ってきて育てるよりは非常に時間がかかるだろうしさらには「自分はママ友とやっていけるのだろうか」「子どもの学費を貯めるにはどうやって節約すればいいのだろうか(特に大学からは一気に年間の額がドーンと上がる)」「学校でちゃんと友達ができているのかしら」「学校でいじめられたりまたはいじめたりしていないだろうか」「勉強や部活動をしっかりやってくれるだろうか」「学校を卒業したらそれなりに就職をしてちゃんと社会人として自立してくれるのだろうか」と心配がやまない。つまり、「身体だけ成長する」だけでなく「社会でしっかりと生きていける」存在に育て上げなくてはならないのだから、「とにかく元気でいられるようにえさをやり、病気になったり気になる症状が出ていればすぐに病院に連れて行き…」という方向性の違いがあるのは確かだから、このトピ主の言い分はわからないわけではない。

だけどもこの友人はあくまでも猫を飼っているのは「子育ての疑似体験中」とも言っているし、なんだか「子育てをナメている」つもりはないのは十分よくわかる。あくまでも猫飼いは「疑似体験」なのだ。たまに「これが人間の子どもだったら○○かな」「猫の病院代は高いねー人間の子どもだったらタダなのに…」とかいろいろ想像してみたりするけれど…。

それに「せめて猫に癒されたいと思って」とご友人はおっしゃる。
もしかすると不妊治療をしているのかもしれないし、治療はしていなくても双方の親や親戚からの「孫マダー?」「子どもマダー?」催促に悩まされているのかもしれないし(これまたよくあるのでどれだけ苦痛かよくわかる)、もしかしたら共働きをしていて「家に猫ちゃんがいればいいな」と思っているのかもしれないし、うちのように「単なる子どもがいない猫好き」なのかもしれない。
トピ主には話してはいないだろうしなかなか「今不妊治療していて…」とか「妊活していて…」なんてそうそう友人とはいえ他人に言えたものではないと思う。とくに治療がハードであればよりいっそう「話したくない」「話せない」ことではないかと思う。

それに「子どもをあきらめる」というのは簡単な決意ではない。
なにせこの少子化が起きている日本で「ちゃんと結婚しているカップルが子どもを産まないなんてわがまま!コイツら日本の国や社会のことなんて考えてなくて自分たちのことしか考えてないけしからん奴らだ!」と世間様から叩かれるのだ。それが「子どもを授かれない」のか「子どもを持たないことを選択している」のどちらであっても。そして「ああこれで生き物として正しかったのだろうか…?このままでよかったんだろうか」と次世代を生み育てなかったことを心のどこかで後悔し続けるのだ。実際私も時としてその考えがふっと湧き出してくることはよくある。むしろ「子育て」が大変な仕事で代わりがなく、そして尊い仕事だと思えば思うほど、「子育てを現在進行形でしている人」たちに対して非常に自分自身が申し訳なく思えてきてしまうのだ。

 

猫がいたっていいじゃない。
猫の繁殖力は人間以上。というか人間の妊娠率なんかより猫の妊娠率のほうが格段に上で1匹のメスが一度に産むのは4匹~6匹。それも年二回の発情期がある。人間が思っている以上に猫が増えるスピードは速いのだ。不幸な猫を増やさないためにもしっかりとルールを守ってよそに迷惑をかけないで猫を飼育しているのなら、そのご友人が特に現状に不満があるわけでもなく楽しそうにしているのなら、外野は余計なことを何も言わなくてもいいと思うのだ。余計なことを言ったりしたりする外野がいるから赤ちゃんが怖がってやって来ないだけかもしれない。