piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

教会のオルガニストになるのに最低限必要なものを考えてみる。-信仰、技術、知識-

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私は日曜日の教会の礼拝でオルガンを弾いています。

 

そんなわけでよくよく聞かれるのが、「音大出てるんですか?」と聞かれます。

 

残念ながら、音大どころか、国立大学の教育学部の音楽科も出てません。私の大学での専攻は社会学です。でも中学、高校で得意だったのは英語と音楽で社会科関連は3番目くらいでした(なぜか地理とか政治経済とかが得意だったけれど)。

 

だけど、ピアノは30年近く続けています。あくまでお稽古事としてという感じです。続けることに関しては夫も義理の両親も反対しておらず、せいぜい私の両親が「さっさと講師資格でも取って辞めちゃいなさいよ」というくらいです。

 

ちなみに、教会で弾くのには音大卒かそうでないかはほとんど問題になりません。

たまに「信者さんの中に音大出のピアノの先生をやっている方が居たから」という理由で教会オルガニストになることはあります。が、そうでない人間も一生懸命弾いています。

むしろ演奏技術なんかよりは「いかに教会や牧師とコネがあるか」というのが問題になってきます。「コネ」というとなんだかマイナス的な捕らえ方をされてしまいそうですが、つまりは「教会とのつながりが強いか否か」という意味です。信仰を持っていない人だとやっぱりぐっと可能性が低くなり、信仰を持っている人だと割りとすぐに「どうぞ」となります。ただ、もうすでに弾いている人が4~5人居るような教会だと「欠員待ち」という感じで、毎週同じ人が弾いている場合だと「すぐにでも助手が欲しい」状態なのでハードルが低くなります。

 

ただ、どこの馬の骨だかわからない「鍵盤楽器が人より弾ける人」に教会は簡単に弾かせないのが現実です。

 

近頃では信者さんの減少や高齢化が進んで、そのハードルは低くなりつつありますが。

 

よく礼拝に出席して、礼拝中の所作や使われる用語がどんな意味を持っているか、ちゃんと聖書読んでいるか、キリスト教の教えを理解しているかが問題になってきます。

でも、それだけで弾けるわけではありません(大事だけど)。

礼拝で弾く、というのはコンサートやらコンクールやらで弾くのとは違って、仮に1時間の礼拝の中でミサ曲3~4曲と当日の聖歌(または賛美歌)を3~5曲、前奏、陪餐中、後奏までを全てそろえると以前も言いましたがそれを弾ききる集中力と体力が必要になってきます。さらにはその人が持っている「音楽的バックグラウンド」が重要にもなってきます。クラシック音楽ばかりでなく、ポップミュージックのセンスも必要になってきます(新しい曲なんかはまさにそういう曲もあります)。

 

ただ弾けるだけでなく編曲のセンスも必要です。
みんなに「歌ってもらう」にはどうすればいいのか。
ただ4声体を弾くだけでは誰も歌わない場合があります。前奏でいかに「どんな曲か」をわかってもらうためにあえてメロディーラインだけを弾く場合もあります。それを咄嗟にできるかどうかの度胸も必要です。

 

演奏としてはバッハのインベンションやシンフォニアくらいのレベルの曲が弾けるスキルがあれば大体の賛美歌や曲が弾けるかと思います。あくまで目安ですが。ショパンだのリストだのの超高難度の曲、超絶技巧の曲が弾ける必要はありません。個人の趣味としてそういう曲が弾きたい人は個人的にどうぞ。

でも礼拝では礼拝堂の広さ、会衆の人数、礼拝の趣旨に相応しいものを選んできちっと弾いてください。腕自慢の場ではありません。

ただ、これはあくまで「手鍵盤だけのオルガン」の場合のみの話です。足鍵盤まであるオルガンがおいてある場合は足鍵盤の練習が必要になってきます。

 

で、ちなみに、結婚式とかお葬式とかも弾けるの?

弾くことはあります。
残念ながら結婚式は今の日本の社会状況からそもそもの婚姻数が減っていますし、さらに若い人の数が少ないのもありますし、「本物の教会」を選択に入れる人たちというのはもっと減っています。ので、「結婚式でオルガンを弾く」ことに憧れを持っている人には申し訳ありませんが、「そのチャンスはほぼない」と思っていたほうがいいでしょう。あってもすごくレアなことになっています。むしろ増えていくのは「お葬式」と思っていたほうがいいでしょう。

また、「そういうのを仕事にしたい!」という人は教会でなく結婚式場や葬儀会社などと契約を取っている音楽事務所(音楽家を派遣する会社)に所属したほうがいいでしょう。その場合は音大卒かまたはそれに準ずる資格を持っていることが必須です。 

問題なのは「ある程度以上のスキルが必要な割りにありがたいと思われないこと」

教会で毎週毎週オルガンを弾いている人が居るのが「あたりまえ」の状態になってしまうと「いつもいつまでも奉仕してもらえる」と思われてしまうのです。教会で演奏の奉仕するまでにはそれなりの時間や勉強、練習が必要で、イチから育てていくには本当に時間がかかるのに「やってもらってあたりまえ」となっていることです。
牧師や神父の場合はそれ専門の学校(神学校)に入ったりしますので、それなりに「なるのにもお金が必要なのね」と思われやすいのと、「先生」と呼ばれるし特殊で専門的な仕事、というイメージなのか謝礼を払わなきゃ何かお礼しなきゃというのはありますが、どこかオルガニストの場合は「趣味でやっている人」の感じが強いのかあまりありがたがられることがないのです。特に日本では。

まぁそうなると「お掃除している人は?」「食事作ってる人は?」「お花飾っている人は?」とキリがないのですが、普段の礼拝はともかく冠婚葬祭はまた別です(教会そのものが金銭的に余裕があれば全て何らかの奉仕をしている人や役員などになっている人に年末にちょっとお礼をするくらいはできるのだろうけど、牧師の給料すら払うのが困難な状態なので現実的に不可能)。人によっては普段は音楽とは関係の無い仕事を持っていることもありますし、主婦の場合は家事や子育て、介護などを抱える中やっている人もいるのです。

これがヨーロッパだったりすると「教会のオルガニスト」というのは名誉職であり「あなたの街の音楽の専門家」でもあったり「教会音楽のプロデューサー」だったりするのでもっともっと見方が違います。クラシックの大作曲家でも「教会オルガニスト」の肩書きを持っていた人もたくさん居ます。代表的なのはJ.S.バッハでしょうか。バッハは「トーマスカントール(ドイツ・ライプツィヒのトーマス教会の教会音楽監督)」という仕事に就いていました。ですのでたくさんのオルガン曲や宗教曲を残しているのです。


そんなわけで、今日も礼拝を弾いてきました。今年最後ですが、来年もまた身体には気を付けながら頑張っていこうと思います。