piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

成人式に出てしまった私はもしかして超絶マイノリティなのか―今週のお題「おとな」―

明日は「成人の日」です。新成人となられるみなさん、おめでとうございます。おとなの世界へようこそ。

 

ここではっきり言わせていただきます。
成人式に出る人は「マイルドヤンキーの素質あり」、出ない人は「マイルドヤンキーではない」。だって、地域でやる成人式というのは実に「マイルドヤンキー性」の強い行事で「地元Love」な人しか出ないのがオチだと思います。地元のお偉いさんのお話を聞いて、久しぶりに会った地元の友達と一緒に遊んで、盛大な同窓会でもある…。「地元Love」でなくても「地元Love」な友達とか周りが強烈に誘ってくるから断れず参加する、結局「マイルドヤンキー体質」な人なんじゃないかと思えてきます。

 

私はかれこれ一昔前くらいに「成人式」というものに出て、しかも私の年だけなぜか実家から一番近いコンサートホールでなく暴れるヤツがいてもいいようにという市の無駄な配慮のもと武道館でやった最初で最後の学年でした。そう、荒れる成人式の世代の最後だったんじゃないかなと思います。

 

私の周りには「成人式に参加しなかった」という人が圧倒的に多い。
私はあまり出る気もなかったのだけど、家族が「出たほうがいい!」と再三再四説得するので、しぶしぶ出ました。それも振袖なんかではなくスーツ(まぁでもブランド物でまともに買ったら10万か20万くらいのスーツだ)を着て。振袖の写真は前撮りしてあったので、その写真を見てまだ健在だった祖父母は喜んでいました。まぁ結果的には「花嫁姿」をどちらにも見せることはできなかったけれども、せめて成人式の振袖の写真は見せることができたから、「おじいちゃんおばあちゃん孝行」はできたかな、と自分では思っています。

 

そんなことを思うと、「もしかして成人式に出てしまった自分は超絶マイノリティなのか」と思えてしまってならないのです。まぁ、あきらかに参加しない理由がなかったから出たというだけで、「成人式に出なかった人」の中には、今ではごくわずかだけど「大学受験」とか、「仕事があって」とか、「大学のテストが近くて」という人だっています。あとは「遠くに住んでいるから」とか。私は結局どれにも当てはまらず、さらには地元の小学校、中学校、高校を卒業しているわけだから、むしろ逆に出ていないと「あいつ、どうなった?」と散々言われていたかもしれませんが、たいして目立つ人間でもなかったからどっちでもいいかな……。

 

もう一度、成人式があったとしたら?
今度の成人式はさすがに出られないだろうなぁ。というのも「転勤族」の妻となってしまったわけだから結局出ようが無い。いや、もう過去の失敗は繰り返したくないのだ。「あいつ、どうなった?」と言われようが言われなかろうがどうでもいいと思えてくるようになりました。まぁ、何年かに1度くらいは同窓会に出席しないとまるで「あいつは死んだのか?」とうわさされてしまうので「生きてますよ!」と主張するためだけに出ようかと思います。

 

でも、私は「成人式に出た」からといってその日から「おとな」になるわけが無いと思っています。それはライフイベントの節目節目のなかで個人がああ自分は「おとな」になったな、と実感するときがそうなのではないでしょうか?たとえば、就職して初めてのお給料をもらったとき、仕事をしていて上司や先輩から「一人前」と認められたとき、はてまた、結婚してこれまで人任せにしていたことを自分でやらなければならなくなったとき、養わなければいけない家族ができたとき、守らねばならない子どもを授かったとき…その瞬間は多種多様で、人によって感じ方は変わってくるかもしれませんが。

 

あと、個人的には「選挙権」というのは18歳に引き下げてもいいかなと思えてきます。この年から「自分で考えて自分で行動する」ことができていいのではないかと思えてくるのです。普通運転免許だって取れるし、18歳から働く人だってもちろんいるし。すべてのものを「20歳から」にする必要は無いんじゃないかと思うのです。段階的に「できること」と「義務」を増やしていけばいいんじゃないでしょうか。個人的には「30歳成人説」は今の日本にあっているのではないかと思います。寿命の点からも、精神の成熟度の点からも。