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piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

やっぱり演奏家は軽く見られてしまうのか

Facebookクラシック音楽関係のグループの投稿を見ていたら、たまたまこのブログの記事に出会いました。


演奏に代金は払いたくないのか|ソプラノ川上真澄の音楽とバラがいっぱい、時々子育てブログへようこそ!

書いている方はプロのソプラノ歌手の方です。
老人ホームなどの施設で演奏をされているようですが、以前は謝礼をいただいていたのに、あるとき「ボランティア(つまりは奉仕で)」と言われて憤慨されている様子です。

 

日本という国は音楽家へのリスペクトがない!?

音楽をやっている人へのリスペクトさえあれば、こういったトラブルはまずないだろうと思いますし、「来ていただいて演奏していただいてる」以上は「なんらかの形でのお礼」はしなければならないのがスジでしょう。外の人に頼んでいるわけですから。だって、これは音楽の演奏に限ったことでなくて、私たちが何らかの「サービス」をしてもらうときにはその代金を払うことになっています。もちろん演奏家自身の「ヴォランタリーな」気持ちでやりたいというのなら、それはどうぞという感じです。

 

むしろ謝礼などを渡す余裕が無ければ誰か職員の人がアマチュアだけど演奏すればいいんです。何か楽器が得意な職員の方は一人くらいいるかもしれませんし、歌うのが趣味の職員だっているかもしれません。ようはこの歌手の方はこれまで培ってきた技術やプロのソプラノ歌手になるまでの時間・お金・自身の努力が報われていないことに怒りを感じているのでしょう。

 

教会の中にもあるこのモヤモヤ

私は教会でオルガニストをしておりますが、やはりこういった類の「モヤモヤ感」は少なからず感じることがあります。ただ、あくまでも教会の礼拝奉仕というのは「自分の演奏がそのまま神様へのささげ物となる」性質のものですし、「自らの信仰心を音に乗せて表現する」というのもありますし、「会衆の賛美の手助け」だと思っているところもありますから、確かに人のいるところで弾いているわけですが、リサイタルですとかコンサートとはちょっと形の違うものです。

 

だけども、「オルガンを毎週弾いてくれる人がいる」というのを「当たり前のこと」と思われるとちょっとモヤっとします。私だってまたしても夫の転勤に付き添って他の教会で弾くことになるかもしれませんし、いつまでもこうして毎週毎週ずっと弾いてくれることを「アテ」にされると困るのです。「もし、私の後に弾ける人がいなくなったら?」という危機感はまったく感じていないのです。もちろんそうなったらヒムプレーヤーの出番かもしれませんが、「ヒムプレーヤーじゃイヤだ!」なんてなった場合はどうするんでしょうか?それが私が今思っている「モヤモヤ」感です。

 

だからといって「じゃあ教会で弾いているのに謝礼を払ってほしい」というわけではありません。私が普段の礼拝で謝礼をもらっていたら、お花をやっている人や掃除をやっている人や昼食(これを教会では愛餐会といいます)を作っている人は?とキリがなくなります。さらには教会の運営を任されている委員の人は?とかもう「牧師の給与さえギリギリなのに無理!!!」となってしまいます。

 

ですので、普段のことに関しては「だれもお礼をもらわない(牧師以外は)」というのがベストなのです。もちろん「自分の好きなこと、得意なことで皆さんのお役に立てたら」という思いがあって奉仕をされている方もいますし、そもそもはそういうスタンスに立ってやるべきもので自己満足だとか自己顕示欲のためだけにやるものではないのです。

 

でも、冠婚葬祭は別

だけども、冠婚葬祭に関しては、私は謝礼はいただいています。
そもそも普段の日曜日と違って葬儀の場合は急に入ってくる性質のものですし、そもそも専業主婦だから暇でしょ?と思われがちですが、「今日はあれをしよう」とか、それなりに「家でやることの予定」を立てていることもあります。そこで急にお通夜なり告別式なりで弾かなきゃいけないとなると「やろうとしていたこと」を辞めてすべて「ご葬儀で弾くこと」にエネルギーを注がないとやっていけないのです。

 

そういった「イレギュラー性」もありますし、よくよくあるのが「牧師さんにはお礼を~」と言って牧師にはたくさん謝礼を渡すもののオルガニストはタダ働き状態になることがあります。なんだかBGM係扱いされちゃっているのでしょうかね?でも、コンサートオルガニストでなくても私のような「何らかの書類に書く職業がメイン、音楽はサブ」という人間でもそれなりに「教会のオルガニスト」になるのにはそれなりの時間やお金、かじったながらにも教育も受けましたし、講習会に出ることだってあります(講習会の交通費や費用などは教会が負担してくれます)。

 

当然学校を出た後ですが洗礼も受けました。「私ココで弾きたいで~す!」といって「はいどうぞー」でなれたり弾かせてもらえるものではありません(でもちょっと楽器ができる人にはそう思われているのが哀しいところではあります)。

 

「安く音楽を享受できる環境」があるのが原因?!

いまや音楽を聴くのは「広める」という意味もあって「簡単に享受できる芸術」になってしまいました。昼間ならば低価格のコンサートなどがありますし、音楽を聴くというのにそれほどお金をかけずに聴けてしまう環境が「音楽家が生演奏してくれるのはあたりまえ」に拍車をかけてしまっているのではないかと思えてきます。さらにそこから国や地方が「じゃぁ芸術関係はどんどんお金出さないようにしましょう」とかそういう方向へと向かうのもそれが原因なのかなと思います。レベルの高い人はドンドン出ていても、こうやって活躍の場が狭まることやさらには「日本でやっていてもツマラナイ」となってどんどん海外へ出て行ってしまう。そういった意味でも考えさせられました。