piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

私は思ってるほど頭が良いわけでない、と思う。

みなさんこんばんはasterixxxです。
ハフィントンポストに興味深い記事がありました。


中学受験の結果は能力の全てを表すわけではない | 竹内健

 
恥ずかしながら、20年以上前、中学受験に失敗した過去があります。原因はわかっています。明らかに勉強量が少なかったこと、すでにその辺りから「得意科目・苦手科目」が出来ていたことだと思います。
 
 
 
仮に当時の中学入試が、今の大学入試でよくあるようなAO入試だとか一芸入試みたいなスタイルだったら、どこかしら私立の中学に通っていたかもしれない。が、そんな試験はまだありませんでした。でもそこで私立の学校に通っていたら通っていたで違った自分になっていたのかもしれません。
 
 
 
私はそのまま地元の公立中学に入り、高校受験もして、大学受験も2回。これで小学校受験まで経験していれば完璧だったわけだけど(ある意味で)、多動があったADHD児(だったかも?すくなくとも今の基準なら完璧そういったレッテルを貼られる自信はたっぷりある)の自分が小学校受験なんて無理だっただろうと思います。
 
 
 
そもそも考えてみると、普通の会社員の父に専業主婦(のちにパートとなる)母。娘二人中学受験も高校受験も大学受験も(姉は現役で入ったが)やっててギリギリだったのに、ましてや小学校受験なんて経済的に不可能だったと思います。
 
 
試験を受け続けたからこそのメリットのようなもの
まぁ、そんなわけで「ペーパーテストの受け方」だけは無駄に強くなった気はする。これは運転免許を取得するのに役立ったのです。ちなみに本試験の合格率は半分くらいだったような気がします(あまりに合格者の受験番号の掲示が少なくて驚いたほど)。今はおそらく運転免許というのは警察的には「受からせる試験」ではなくて「落とす試験」なのかもしれません。
 
 
私としては仮免許試験の、特に実技の方が厳しかったけど(卒業検定はガチガチに緊張しまくっていた)。これは都道府県にもよるのか。故郷のK県より今住んでるT県(敢えてTにしておく)の方がちょっと緩やかなのか。
 
 
感覚的に「車の台数は運転免許保持者数+1」が当たり前な県だしなぁ。「運転免許がない」というと大人扱いされない(感じがする)。都市部で「異動に自家用車の必要がない地域」では女性だと「私運転免許持ってなくて」と言っても「ああそう」「まぁ女性だしね。助手席に乗せてもらえばいい」みたいな感じで「ええっ?!免許持ってないの!」と言われたことはありませんでした。教員になる人(学校の先生だと何かのときに車を運転する必要がある)とか就職で営業職になってしまった人(社用車を乗りますからね)くらいしか「免許、免許」と言っていませんでした。男子はかなりの確率で取っていましたけど。
 
 
話がかなりそれてしまったけれど、個人的には算数の解法は何度も何度もやっても理解ができないものでした。国語や社会科はやっぱり得点が稼げたし、それは高校受験も大学受験もそうでした。ただ、経験して全くの無駄だったかというと、無駄な経験ではなかったと私は思います。
 
 
 
そして自分は「勉強の才能があるか、ないか」という観点では、「私は思ってるほど勉強が得意でないし、頭も良いわけでない」というのがわかりました。結果として失敗してしまったのが物語っています。