piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

Decade―今週のお題「10年」―

こんばんは、asterixxxです。
今週のお題「10年」とあったので、今年で10年になることを思い返してみようと思います。

・学生でなくなって10年。
無宗教(というとアレだが、特段信仰を持っていなかったので、って意味で)からキリスト教徒へ

 

という実は「今の根幹」になっていることが起きたのが10年前。
ということで「クリスチャン10年生」ということだけど(5月で11年目になるのか?)、「どんなに頑張っても、どんなにあがいてもボンクリ(ボーンクリスチャンの略。クリスチャン一家に生まれ、幼児洗礼を受けた人)とは違うなぁ」と思わざるを得ないし、「一代限り」な私がどうやって教会で受け入れてもらうかが重要でした。「親の代から、おじいちゃんおばあちゃんの代から」というと周りの人は「親もどんな親だか知ってるし」ということと、大概幼児洗礼を受けているので「どんな子どもだったか」というのを周りの人はよく知っています。

 

 

また、教会の中で半ば「代々クリスチャンの家」の人のほうが役員などの重要な仕事をされていることもありますし、子どももチヤホヤされる傾向にあります。逆に新参の若くてやる気がある人(実はそういう人ほどきちんと欠かさず礼拝に出席したり聖書を読んでいたりしていて「えらいなぁ」と思えてしまう)が教会の中に居てどんどんやる気を奪われて教会を離れていく話もよくよくあります。特に人間関係の密度が濃いしちょっと特殊でもありますから。

 

 

ですから、「あの人、どうなった?」というのは何もご高齢だったり病気を抱えている人ばかりではありません。何かのきっかけで教会を離れてしまった若い人をさすこともあります。今、同世代の男性の方が教会に毎週見えていますが、よく聖書も読んでいますし、本人の希望もあるので異動で遠方に引っ越す前に洗礼を受ける予定でいます。引越し先の近くにもうちの教派の教会がありますし、そこでも変わらずに、でも背伸びしたり無理をしないで頑張ってもらえたらなぁと祈るばかりです。

 

 

しばらくの間は「その差」についてくよくよと悩むことがありました。どことなく閉鎖的な「教会の人」というのに疲れたこともあります。だけども、「クリスチャンホーム育ち」の人も「その人なりの悩み」を抱えていることもわかりましたし、「どちらの境遇でも悩むことはある」ということがわかりました。むしろ悩みはクリスチャンホーム育ちの人のほうが幼児洗礼を受けていたりなどと深い気がします(教会から離れていたいのにできない…など)。

 

 

でも、まだ「堅信50年」にはあと40年もあります。そのころはもうおばちゃんを通り越しておばあちゃんな年齢になっています。まぁ生きているかもしれませんが未来のことは良くわかりません。そのころ日本のキリスト教の教会があるかどうかもわかりません。

 

 

話は変わって、笹塚の某ピアノ教室に通うことを決めて、自分で入会したのも10年前でした。今はなんだかんだで「まだお休み中」ですが、来月には復帰するつもりでいます。連絡しなくては、と思うのですがなかなか。でも、結果的に「長い付き合い」になってしまったので「戻ってきました」と言ってやってきても「おかえりなさい」と迎えてくれるような気がしています。

 

ちょっとペットロスでうつが出たりしていますが(そういえば「うつ病」の診断を受けたのも10年前だっけか?ひぇー!)、まぁ「今年の発表会に出よう」とか慌てた目標をたてさえしなければ、なんとなく元のやる気が出てくるような気がしています。「あわてず、あせらず。」これ、せっかちな演奏をする傾向があるので幾度となく先生に言われていたのを思い出します。今でも慌てそうになると、まるで呪文のように「あわてない、あわてない」と心の中で何度も繰り返します。