piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

明日はいよいよ・・・思いつくことをつらつら書いてみた

こんばんは、asterixxxです。

 

いよいよ明日がんばれば週末…ですね。世間的には。
うちの場合はそれが金曜日ではなくて「日曜日」になってしまいます。
正直、日曜日は礼拝が終わってお昼を食べるともう眠ってしまう自分がいます。緊張が解けたからなのかもしれませんが、なんだか「こんなに寝ちゃうっけ?」というくらいです。下手すると夕飯が作れないので軽く生活に支障が出ている感がありますが。これで母親業もしていたら「お母さんもう疲れた、日曜日はファミレスでお願い」と言い出す自信があります(夫の仕事の前任の人のご家庭はそうしていたっぽい)。

 

 

疲労に関しては、「ある朝起き上がれなくなったらCFS慢性疲労症候群)の疑いをかけて病院にかかってみよう」と決めています。でも今のところそれはないし、まだまだ大丈夫かな~と思って放置しています。

 

 

明日で、我が家の猫のめいちゃんが空の星となって1ヶ月です。いわゆる「月命日」というやつです。くしくもその明日は夫の誕生日でもあります(30数回目)。なんだかもう「27日を意図的に選んだんじゃないの!?」と思いたくなるようですが、飼い主がどちらも「27日生まれ」なので絶対に忘れることがありません。

 

 

もしかしたら自分の生きた証とまではいかないけれど、「めいちゃんという猫がいた」というのを飼い主に忘れないでいてもらおうというのと、PC用のスピーカーのまん前でOTTAVAを聴いていためいちゃんです。クラシックの天才作曲家のひとりW.A.モーツァルトの誕生日でもあり、オペラでも有名なヴェルディの命日というクラシックファンにとっても重要な日(?)でもある1月27日を「選んだ」のかもしれません。

 

 

この1ヶ月間、やはりペットロスに苦しみました。
今も思い出すと涙は出てきますが、やっとやっと自分の生活を取り戻しつつあるな、という実感がわきます。やっとクラシック音楽も聴けるようになりました(でも興味を持ち出したヒーリング・ニューエイジ・アンビエント音楽についてはまだまだ色々音源をもっと聴きたいというのがある)。どん底からなんとか這い上がったのはもちろん「自分が信仰を持っていたから」というのもあるかもしれませんが、それ以外にもいろんなことがありました。下に挙げておきます。

  • まず、Facebookの「猫好き」さんのコミュニティグループに入った
  • どんなカタチでもいいから「癒し」を探す(ヒーリング音楽を聴いたりなど)
  • 悲しみを吐き出す場を作る(FBとこのブログですねw)

「猫好き」コミュニティはなにもFBでなくても他のSNSでもいいですし、オンライン上のものでなくてもいいと思います。自分と同じように「猫を飼っている」人たちが集まるところに行くことで、同じような思いをしている人に出会うことができました。これはインターネットのチカラだなぁと感じるところです。入ってすぐにめいちゃんと同じような病気で大事なネコさんを亡くされた方もいて、投稿のコメントに「私も同じような状況なんですよ」という旨の、そしてネコさんのお悔やみコメントを書いたりしました。その方にとっても「ああ自分ひとりではないんだ」と思えたでしょうし、私も「猫がなくなって悲しんでいるのは自分だけじゃないんだ」と思えるようになりました。

 

「癒し」は私の場合はやはり音楽に求めました。でもクラシックを聴くとつらくなってしまったので「主張のない」環境音楽というかヒーリング系のものがしっくり来ました。こればかりは私はついつい耳でメロディとどんなコードでとかつい追って聴いてしまうので「そういった要素がない」モノにこだわりました。他にも温泉に行ったりいろいろしました。あとは買い物をしたり(でも浪費しないように注意!)「自分が楽しい」と思えることをなるべくやるようにしてきました。

 

 

悲しみを吐き出す場…これはブログでも、長々書けなければtwitterでもいいと思うのです。もちろんSNSでもいいでしょう。色んな形がありますが、とにかく「表に出す」ことでストレスを軽減できるような気がします。これはあのイケダハヤト氏も「書くことでストレスマネジメントになる」ともおっしゃっていますし、あながち恥ずかしいことでもなんでもないと思います。もちろんあまりひどければ心療内科や精神科に行ってカウンセラーの方やお医者さんにつらさを訴えるのもひとつの手です。なにせ「心を扱う」プロなのですから。精神安定剤などを頓服としてもらうのもアリだと思いますし、私も「つらいな」と言うときは飲んでいます。もちろん用量と用法は守りましょう。

 

そんなわけで、1ヶ月前よりはだいぶ感情も落ち着いてきたかと思います。
でも、けっしてめいちゃんが生きていたことを忘れたわけではありません。