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piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

少子化の進む先進国では子ナシ・非母親女性は「魔女」なのか


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やっとやっと、この『「産まない」時代の女たち―チャイルド・フリーという生き方―』(ジェーン・バートレット著、遠藤公美恵訳)を読み終わりました。
ざっくりとは読み終わっていたものの、所々部分的にあやふやだったところなども読み直したりしていたので、少し時間がかかってしまいました。

 

 

この本そのものは1994年に「Will You Be Mother? Women who choose to say no」というタイトルでイギリスで出版されており、日本ではその10年後、2004年に第一版が出版されました。2004年というと当時私は大学四年生。大学卒業後の進路を決めることと卒業論文を仕上げることで忙しくしていたものの、「30代以上、独身、子どもなしの女性は負け犬」というフレーズで酒井順子著の『負け犬の遠吠え』はその年のベストセラーとなったのは記憶しています。その当時の「負け犬」ブームとあいまってこの『「産まない」時代の~』も出版されたのでしょう。

 

 

『負け犬~』のほうは私も読みましたが、全般として「負け犬」側の酒井氏が「30歳以上で独身で子どものいない女性が、どんなに立派な仕事をしていようとも、どんなにお金を稼いでいようとも、子どもを産んでいない時点で負け犬」と自虐的に書いている面もありました。一方でこの『「産まない」~』のほうはというと、帯には「子どもを持たなければ「負け組」ですか?」と書かれています。

 

 

『「産まない~」』のほうでは、「子どもを持たない、持てなかった」女性たち50人へのインタビューをもとにして全体が成り立っています。ですので「子ナシ女性(既婚者もいれば独身、同性愛者などそのバックグラウンドはさまざまなので、総合して「女性」とさせていただきました)の”ナマ”声」が入っているのです。ただイギリスで書かれた話ですし、ほとんど「英国の事情」がメインになっています(中にタヌージャというアジア系女性のインタビューが入っていて”アジア系独特の家族観・子ども観”がありますが、それもまた日本とは少し事情が違う印象を受けました)。

 

 

全般的には「よく取材されている」という印象を受けました。50人という人数の「チャイルド・フリー」の女性達ひとりひとりに話を聞いて、さらには「なぜ、子どもを持たなければいけないのか」ということに対しての社会的、宗教的、民間信仰的な面からの圧力に関する考察や、妊婦・母親に対するイメージと「子どもナシ」女性のイメージの違いについてなどが細かくなされ、それぞれの女性の声も収録されています。また、「チャイルド・フリー」の人にありがちな偏見(例えば、ペットを溺愛している、自分のお金やレジャー、仕事のことばかり考えている…など)に対するチャイルド・フリー女性たちの意見も赤裸々につづられています。

 

 

そこには決して「チャイルド・フリーの女性は存在自体がけしからん!子どもをもてるヤツは一刻も早く妊娠すべし!もてないヤツは一刻も早く結婚すべし!」といった説教臭もなければ、「どうせ母親になれない、ならないわたしたちは日陰モノだから…」といった自虐もない。非常にバランス感覚が取れているなぁと感じました。どちらにも寄らず、「ありのままの」チャイルド・フリー女性の声を載せています。一方で残念に感じたのは訳者の方があまりキリスト教に明るくないのか、カトリックの話なのに「神父」でなく「牧師」と書いてしまっていたこと(原文はわかりませんがおそらく"The Reverend"、聖職者とあったのかもしれません)くらいでしょうか。

 

 

個人的に気になってしまったのは、「英国教の(この訳も個人的にはモヤモヤするけど、しょうがない)祈祷書には結婚の第一の機能は「子どもを産む目的」だと明言している(10ページ)」とあったこと。ちなみに日本において英国国教会の流れを汲むプロテスタントの一派、日本聖公会の祈祷書(1990年版)の「聖婚式」のルブリック(註釈や解説)の冒頭にはこう書いてあります。

信徒が結婚するときは、この式によって神の祝福を受け、教会はその結婚を公に宣言する。一方が信徒である場合にもこの式を用いることができる。
結婚しようとする者は、この式文によって結婚についての教会の教えを牧師から学ばなければならない
日本聖公会『祈祷書』1990年、300ページ)

 

ちなみに、「子どもをもつ」ということに関しては、

次の祈りの用、不用はその場合による。
すべてのものの造り主なる天の父よ、あなたはわたしたちを主の創造のみ業にあずからせてくださいます。どうかこの夫婦に、子を生み、育てる恵みを与え、まことと愛と平和の家庭を築かせてください。また子供たちがみ子イエス・キリストのうちにあって健やかに成長し、信仰の道を学び、主を信じてみ栄えを現す者となりますように、主イエス・キリストによってお願いいたします アーメン

というお祈りが式の最後のほうにあるくらいです。日本聖公会の祈祷書は古い英国の祈祷書をベースにしながらも、英国の祈祷書をまるまる訳しただけではなく英国のものも、米国のものも、日本で以前あったものを文語文から口語訳したもの…となっていたりするので、単に「結婚の第一の云々」は存在しないのだろう……と私は推察します。子どもに関するお祈りも「用、不用はその場合による」とルブリックにあるので、明らかに生殖年齢でない熟年カップルが挙式する場合は用いないのかもしれません(私の場合は当時夫34歳、私30歳と「子どもを持とうと思えば普通に持てる年齢」だったので、このお祈りがありましたが…)。ただ、「教会」ですので、同性婚は挙げることはできません。

 

 

もし、この本の日本バージョンがあればと思いつつも(感想にも「これの日本バージョンがあったらいいのに」というものがあった)、それだけの「客観性」や「バランス感覚」をもって取材活動ができる人がいるのかどうかということ、修道女(日本だと尼さんも含む)、同性愛者、不妊症、不妊手術を受けた女性(婦人科系の病気で手術をした人も含む)、「今は」子どもをもたないだけの子どもナシ既婚女性…といったようなさまざまな事情を持つ女性たちが必ずしも表に出て取材に応じてくれるかということ、こんな本を世に出してしまったら少子化対策のお偉いさんに「この少子化になんて危険思想にあふれた本を出すんだ!この本は販売禁止!」とならないか…と。今現在の「日本の女性はとにかく子どもを産むべし!子供を生んだら保育園に預けてバリバリと働くべし!で、家事も忘れずにな」という社会の要求におもねって説教じみた内容にならないかというのが心配要素として考えられます。

 

 

ただ、言えるのは「この少子化の日本において子ナシ・独身の女性たちというのはやっぱり中世時代の魔女なのかも…」と思えてしまいます。つまり私のような「子どものいない既婚女性」というのはまさに「あまり表に出られないな…」と思ってしまいます。子どもの話になると、本にもあったように「欲しいんですけれどねぇ…」と残念そうにしてみたり…と。「私は決して子どもが嫌いってわけじゃないんですぅ~」と書いてある被り物をかぶってやっと出られるという感じです。「欲しくありません」とか「持つつもりはありません」とハッキリ言えない。やっと日本でも性的マイノリティの人たちが着目されるようになり、「色んな嗜好や主張を持っている人が生きていてもいいんだ」という流れになりつつはあると思います(まだまだ年配者をはじめとして偏見もあるでしょうけれども)。そのひとつにも「チャイルド・フリー」という人たちも含まれていけばなぁ…と願うばかりです。