piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

趣味と仕事―生活満足度を上げるならば両輪で―

みなさんこんばんは、Piantinaです。

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やっぱり私の趣味というと「音楽」になってきてしまうでしょうかね……。たしかに履歴書の「趣味」欄は「音楽」と書いていたように思います。もちろん弾くのも好きですが、いくらでも聴いていても飽きないし、逆に聴かないほうがどこかに異常をきたしてしまうのではないかと思うくらいです(笑)


なんだかスマホを見ていたら、こんなまとめに出会ったので、ちょっとその話をしてみたいと思います。

matome.naver.jp

 

news.careerconnection.jp

 

私の趣味、私と趣味

私の第一の趣味はなんといっても「音楽」なのかもしれませんし、おそらく私と付き合いのある人ならば「ああPiantinaさんといえばピアノ(またはオルガン)だね」という感じかもしれません。たしかに小さいときから続けてきたものでもありますし、今も生活の一部のようになってしまっていますので、そういった見方に間違いがあるわけではないと思います。

 

 

ただ単に弾くのが好きというわけではありません。聴くのだって好きです。何もクラシックばかりではありません。もともとはJ-POPあたりからアチコチのジャンルに行ってクラシックにやってきたわけです。近頃はアンビエント音楽というか環境音楽というかヒーリング音楽も興味があります。CDを買い集めるのも好きですし、コンサートに行くのも好きです。しかもクラシック系のコンサート、特にピアノに関してはいろいろと勉強になりますので本当はもっともっと行きたいものですが、住んでいるところが辺鄙な場所なのでコンサートが多い都会に行くのに一苦労します。

 

 

先に挙げたリンク先では「出世したくない、恋愛したくない、趣味に生きたい」という若者の話なわけですが、私もかつては「よし、音楽を仕事にしてみよう」と思って必死になったこともあります。結果から正直に話しますが、それはかなえることが出来ませんでした。でも、いわゆる「雇用契約を結んで、お給料が出て、税金を払う」というような仕事にはなってはいませんが、ある意味で音楽は「仕事」になりました。

 

 

私は教会でオルガニストをしていますが、これも大学でたまたま「ピアノが弾けるからオルガンも弾けるだろう」と軽~い気持ちでオルガンを弾くことになって、「ちょっとはかじったレベル」にオルガンが弾けるようになって、礼拝でも何度か弾かせてもらって(他の部員も居ましたからホントに「何度か」というレベルですが)、主日礼拝で奉仕するオルガニストが不足しているようなところに住むようになって、ありがたがられるようになりました。

 

 

だから、ピアノを続けたことは結局「お金を投資(レッスン代や楽譜代など)してもドブに捨てたようなものになってしまった(実際私の両親はそうやって思っているかもしれませんが)」というわけではなく、全て回収できるレベルではないですが「少なくともそのスキルで他人のお役に立っている」というところではまったくの無駄ではないと私は思っています。

 

 

仕事もしました

もちろん、大学を出たあとは色々ありましたが仕事はしました。「石にかじりつくような思いで」頑張ったこともありました(体壊したりもしましたけど)。それはネット関連の仕事をするようになって、「webデザインやクリエイターになれたら」と思って勉強したり、いろいろ本を読んで買ってみたりしました。フリーランスのような仕事が出来たらなぁと思っていたのでしょう。

 

 

また、「食いっぱぐれのない資格」でも取ろうと思ったこともあります。とにかく学生時代から親からは「音楽はあくまでも趣味でいなさい」と言われていたからです。おそらく「私には音楽しか出来ない」という人間になってもらっては困ると思っていたのでしょう。さらに音楽の世界というのは「人よりちょっと出来る」くらいの腕前では上にあがることはできません。「人の何千倍も努力して、音楽で食べていけるかどうか」のものだと思っています。ですからそれこそ「最低限ピアノが続けられるくらいの給料がもらえればいいや」とも思っていた時期もありました。

 

 

夢はあくまでも夢で

だけども思うのです。
「果たして自分の一番好きなことを仕事にしている」し、今専業主婦をやっているのは傍目から見れば一見「いいなぁ、羨ましい」と思われてしまうかもしれません。だけども、やはり主婦であるからには「家事」は仕事ですし、なかなか休めるものではありません。具合が悪くてもペースを落としてでもやらなくてはならないこともあります。

 

 

教会でオルガンを弾ける、と言っても、100%自分の好きなように弾かせてもらえるものではありません。むしろ牧師の意向や信徒さんの意向もあったりしますし、あくまでも「礼拝で弾くこと」は自分の腕自慢のコンサートではありません。音楽もいつでも聴けるかというと、これまた同居人(夫)の趣味もありますし、あちらはアイドルが大好きでクラシック嫌い。なかなか私の好きなクラシックが聴けません。現実はそんななのです。それでもめいちゃんが生きていた頃はまだ「めいちゃんが好きだから」と聴けていましたが、今ではひとりぼっちですから、なかなか苦しいものがあります。

 

 

んで、何が言いたいかというと、「自分の趣味、やりたいこと100%」で生活していてもなんだかんだで他人の意向を気にしたりしなければいけなかったり、大人の事情も出てきたりします。ときにはむちゃくちゃな要求をされることだってあります。それならば、やっぱりどこかに「お金を得るための仕事」を持っていて、「それをするための原動力となる趣味」の両輪で生きているほうが結局生活に満足できるのではないかと思うのです。その「お金を得るための仕事」も楽しくできればなおよし、というところだと思います……まぁ、わたしが言えた義理ではありませんが。