piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

学校も無理に行かなくていい、宿題だって無理にやらなくていい。

みなさんこんにちは、Piantinaです。
きょうは8月31日。夏休み最終日ですね。かれこれ四半世紀以上前、私自身も「夏休みの宿題」とやらで忙しい日だったのを覚えています。毎日の天気を記録したり、朝顔の観察をしたり、歯磨きのカレンダーの色塗り、絵日記、工作、読書感想文など…今では多少サボっていても「夏休み期間の天気」とか調べれば出てきそうですし、意味はあったのだろうかと思えてしまいます。

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まぁ、色んな意見があるかとは思いますが、日記やら記録系の宿題は内容としては意味があるのかは疑問に思いますが、つまるところ「夏休みの間にきちんとした生活が送れていたかのチェックのため」という意味が強い気がします。歯磨きをサボっていたら当然虫歯だらけになりますし、朝顔が枯れてしまっていたら水遣りをキチントしていなかったということになります。

 

 

中学くらいからそういった記録系の宿題というよりは「副教材のドリルを何ページから何ページまでやって提出」とか「新聞記事のスクラップ」になり、高校にいたっては家庭科の授業で製作やレポートでした。たしか「栄養バランスの良くなる昼食の食べ方」というのを調べたような気がします。大学にいたっては言わずもがなですね。通年の授業だとレポートの提出があったりなかったり(ない場合は前期末にテストでしたが)。ゼミに入るようになってからは夏休みにも課題が出ますので、「夏はバイト一辺倒~!」というような感じではありませんでした(バイトもしましたけど)。

 

 

まぁ、でもなんだかんだで、大人になっても平気でピアノの練習はサボりますし、でも、ヘンに取り繕っても一夜漬けで頑張ってもプロな先生からはお見通しされてしまうので、「すいません!今回も練習できませんでした!」という感じでレッスンに向かっております(先生ごめんなさい…)。でも、毎週オルガンを弾いていてまったく指を動かしていない状況を作ってしまっているわけではないのは先生もわかっていますので、「本当に時間が作れなかったんだな」と温かい目で見てもらっています……。

 

 

明日9月1日は始業式でもありますが、統計的にこの日の自殺というのが多いというのがニュースで盛んに報道されています。いじめもおそらく自分の頃とはもっとケータイやSNSを使った複雑ないじめになってきているだろうし、いわゆる「無視、暴力」というような人目につきやすい感じのものではないのでしょう。数日前、私のふるさとでもある鎌倉市図書館のツイートが話題になりました。非常に誇らしいことです。なぜ、私が小中学生のころにこういう言葉をかけてくれる人がいなかったのだろう…と思えてなりません。どちらかというと図書館よりは保健室の先生(養護教諭)のほうが「クラスにいられない子のオアシス」になっていた感じがありますが。

 

 

私自身は「いじめられた」というほどではないですが、ちょっとからかわれることがあったりして、学校に行くのがあまり楽しくなかった時期というのがありました。学年が変わってクラス替えがあってからはなんともなくなりましたが。ただ親は昔の人なので「何があっても学校に行くべき」な考えで(いわゆるガンバリズムというか根性論者ですね)、「どうしてそんなに無理やり学校に行かせるんだろう」と疑問で一杯だったことがあります。もし私に子供がいて「どうしても学校に行きたくない!」と言ったら「じゃぁ、無理に行かなくてもいいじゃない?行きたくなったら行けば?」と言うでしょう。

 

 

ある一時、もしくは大人になるまでずっとかもしれない。もしかしたら大人になってもそのままニートになっているのかもしれない。だけども学校に行かない、行けない時期があってもその後の人生のなかで本人が「その分の埋め合わせ」を自分ですればいいのではないかと思うのです。もしかしたらある分野にものすごく興味を持ち出して、それを突き詰めるかもしれないし、いじめられたりしてつらかった経験を何か他の人のために活かせないかと思えるようになっていけばいいのではないかと思います。

 

 

で、もう一回言いますが、
学校、行きたくなかったら無理に行かなくてもいいじゃない?行きたくなったらいけばいいよ?