piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

【タイトル変更】「自分は今の世の中に対して何も出来ない」とお思いのあなたへ

みなさんこんにちは、Piantinaです。
しばらく記事をアップしていなかったので、
そろそろまずいなぁと思い、何か書こうと思った次第です。

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昨日は教会の秋のバザーでたくさんの人が来場して収益もアップして、成功裏に終わりました。今年はバザーをやる人の手に負えないほどの品数ではなかった(その前に売れるものと売り物にならないものの選別をしなければいけないけど)のと、だいぶ動きに慣れてきたのもあり、「今度はああしよう」「こんなことを次回からしてみてはどうか?」みたいなものも出てきました。

 

 

そのバザーが終わって家に帰ってスマホを見てみると「パリで同時多発テロ」とあるではありませんか!…あれ?パリって1月にも新聞社にテロがあったばかりだというのに…今年2015年はフリージャーナリストの後藤健二さんの殺害や、日本にとっては太平洋戦争に敗戦後70年の節目の年でもありましたし、夏には安保法案をめぐって毎週毎週さまざまなデモが都内の各地や国会前なんかで行われたりして、さらにはシリアからの難民がヨーロッパに押し寄せてきて…と何かと「平和ってなんなんだろうね?」「どうやって世の中を良くしていけばいいのか?」と考えざるを得ない1年になってきたかと思います(まだまだまとめに入るわけではないですが)。

 

 

でもテレビやマスメディアなどで色々と煽られると、なんとなく「平和が大事だと思っているのならそれこそ国会前にでも行ってデモにでも参加しないといけないのだろうか?」とも思えてきてしまいます。もちろん、なんだか空気的に太平洋戦争(第二次世界大戦)直前の空気になろうとしつつあるような、なんだか「軍靴の音が」的な世の中になりそうな感じになってきているような気もしないではありません。

 

 

だけども、「平和を実現する」ってそんな大きなところでなにやら活動しなければ、声を上げなければいけない!的なものなのでしょうか?もちろん、それが仕事となっている人(政治家や国際機関などの職員など)は世界的な問題に成りつつある紛争や難民問題の解決、貧困の解決について対処しなければならないのはそうですが、果たして何の力もないド庶民の私たちは「平和を実現するってねぇ……大それすぎじゃない?」とも思えてきます。あ、だけどもちゃんと選挙権持ってる人はちゃんと選挙行きましょ。昔は金持ちの男しか選挙行けなかったんですからね?今になってありがた~く享受している「権利」なんですよ?

 

 

横道にそれましたが「平和」を大壇上に構えるわけではなく、もっともっと自分の半径数メートルの範囲くらいまでおろして考えてみるというのはどうでしょうか?自分の家族、友人、ご近所さん、職場の上司、同僚、後輩など…。果たして「平和に」やっていけていますか?つまらない、くだらないことで口論になったり対立したりしていませんか?

 

 

もちろん、お互いの意見や主張があるのはそれぞれ人間ですからないわけではありません。だけども「ちょっと自分が折れてみる」とか「あえて相手に譲る」とか「何か困っていそうだったら手を差し伸べてみる」「皆があまりやりたがらないことをあえてすすんでやってみる」とか「相手を喜ばせる」ことを、これまた一見「メンドクサイ」ことかもしれませんがやってみてはどうでしょうか?時には「なんで自分ばっかり(泣)」とも思えてくるかもしれません。

 

 

ハッキリ言って今ニュースで騒がれているような紛争や対立などからしたら小さな小さな人間関係かもしれません、だけどもひとりひとりがそれぞれ「思いやり」だとか「ちょっと譲歩すること」だとかをしていけば数が増えてくればくるほど「大きな流れ」になって行きます。

 

 

なんだかここまでえらそうに、さも偽善者風味で書いてしまいましたが、先日OTTAVAFacebookに「12月19日のクリスマスコンサートをコンサートにいけないような人をチケットを買うことによって招待する」というアイディアを出された方の話が載っていたのです。素晴らしいアイディアだなぁと思うと同時に「なんで自分はこんなことも考えられないのだろう」と自分のちっぽけさにもへこんだりしましたが、こういった「寄付」的なことも大事だなぁと思います。

 

 

 

私はクリスチャンではありますが煩悩(物欲?)だらけでともするとブルーハーツの歌の文句ではないですが「♪あれも欲しい♪これも欲しい♪」ばっかりで困ってしまいます。でも自分を正当化するわけではないですが、自分の買い物はきっと買ったものを作っている人や売っている人の生活をわずかながらでも助けているのだから…と思うようにしています(笑)

 

 

そんなわけで今回の記事のテーマにそった聖書の一節をば。
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:13)」