piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

やっぱり「いただきます」と言おう

みなさんこんにちは、Piantinaです。
ちょっと気にったまとめを見つけましたので、リンクを貼っておきます。
カオスちゃんねる : 食前に『いただきます』を言う必要は無いと思う

 

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この記事をお読みの皆さんは、果たしてごはんを食べる前に「いただきます」と言っていますでしょうか?私はさすがに外で一人だとちょっと人目が恥ずかしいので手をそっと合わせるだけで心の中で「この糧を感謝していただきます」と言っていますが、家にいるとき、夫がいるときは食前感謝の祈りを捧げます。よくよく日本古来のものが好きな感じで自然派っぽい人が「クリスチャンは食べ物や命に感謝しない」と言っていますが、それは大きな誤り、誤解であって、「感謝」してちゃんといただいています。

 

 

ただ、その感謝の向ける先が、自分の目の前に来るまでの植物や魚、肉になる動物たち、農業に携わる人、牧畜にかかわる人、流通に携わる人、または料理を作ってくださった人、そして食事をできるように「すべての創造主であってすべてをおぜん立てしてくださる神様」に向けて感謝をしているのです。その「すべての創造主であっておぜん立てしてくれる」神様の存在があるかないかの違いです。

 

 

日本の古来からある「すべてのものに神様は宿っている」とみるか、「全知全能で世界にあるあらゆるものをすべてを創り出した神様が”オンリーワン”でいる」とみるかの違いでしかないかと思います。日本のほとんどの皆さんは前者の見方かもしれませんが、日本の全人口のごく1パーセント未満の人間は後者の見方をしています。

 

 

で、話がだんだん脱線してしまいましたが、そんなわけで「今、こうして食事にありつけて、食べるものが自分の目の前にある」ということに想像を向けると、どれだけ恵まれているかということを感謝しないといけないと思います。それに相当するのが日本語では「いただきます」という言葉なのではないでしょうか。

 

 

外国にはこういう言葉はなく、キリスト教徒の場合はやはりお話してきたように「神様への感謝の祈り」をささげてから食事を始めることが多いでしょう。まぁ教会などで愛餐会(礼拝の後の昼食会)があるときはお祈りがあって「アーメン」と言って「いただきます」となるわけですから海外から来た人は「??」という感じかもしれません。

 

 

もちろん食材が自分たちのもとに届くまでももちろんですが、それを用いて作ってくださる人の存在や働きにも感謝しなければなりません。メニューを考え、味付けを考え…となるとなかなか料理というのも難しい作業ではあるかと思います。それを忙しい中やってくれるわけですから、食べる側としては「何も言わずに」食べるなんてどれだけ「この人はよほど感情を表したくないくらいシャイなのかそれとも自分が食べ物を食べられることを当たり前にとらえすぎているのだろう」としか思えません。