piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

あふれんばかりのお花と共に……私の立ち会ったご葬儀の話

みなさんこんにちは、Piantinaです。

実は先に「寒いところでの葬式を冷えとりで如何に乗り切ったか」的な話を書いていたのですが、やはりこのことも記事にしておかなければいけないと思いました。ネットのことですので「亡くなった人のことを書いて遺族の人が見ていたらどうするの?」と思われるかもしれませんが、葬儀のこと、そしてSさんへの思いを書いていきます。もちろんプライバシー保護のためにお名前もあえて伏せてありますし、できるだけ感情を煽り立てないように気を付けて書こうと思います。

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以前、教会の信徒さんだったSさんが急逝されたということを書きました。本当に急な話だったので、現実だと思えず、知らせを聞いた夜はとても寝付くことができませんでした。 

mayflower81.hatenablog.com

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おととい、昨日とSさんの通夜の祈り、そして葬送式でした。私は教会でオルガンを弾いていますので、両日ともに聖歌の伴奏などを担当させていただきました。通夜までは「はたして自分は冷静に弾いていられるのだろうか?」という心配が先立ちました。もちろん教会は古い建物でエアコンなどなく夏は暑く冬は寒いので防寒のことも気になっていなかったわけでもないですが、やはり自分の仕事を全うすことができるのかも心配でした。

 

 

Sさんがご結婚される前のことはSさんご自身が亡くなられたご主人と結婚した後に洗礼を受けて教会に通うようになっていたので明らかではないようですし、喪主を務められたご長男の方もあまりわからなかったようです。だけども、20代で土木工事会社を経営するご主人と結婚し、3人の子どもに恵まれ順風満帆のように一見見えたSさんでしたが、30代半ば、つまりは今の私の年齢くらいのころにご主人を亡くし(ご主人は40代だったようです)、女手一つで3人の子どもをを育てながらもご主人が経営していた土木工事会社の経営の仕事もご主人に代わってやらなければならなくなりました。

 

 

 

時には女性ながら大型トラックも運転して土砂を運んだりしていたそうです。子どもたちのために真剣だったのでしょう。だけどもその苦労をほかの教会の信徒に自慢するわけでもなくひけらかすわけでもありませんでした。そして7人のお孫さんがおりました。つい3週間ほど前、ご長男さんの一番上のお孫さんがめでたく結婚され、披露宴の様子を礼拝後の片づけをするときに嬉しそうに話してくださいました。

 

 

その一方でSさんは趣味も幅広く持ち、華道では師範になるほどで、多くの生徒さんを指導なさっていました。さらには詩吟や書道もされておりました。そして地域の役員もこなすまさに「パワフルウーマン」でした。足は3度ほど手術し、片目に障害がありましたが日曜日の礼拝には趣味のことがない限りは車を運転して必ず礼拝に出席していました。人数が少なくなった教会の役員も引き受け、掃除やお花の準備もしてくださいました。私としても教会で話すのが楽しみのひとつでもありましたし、片づけそのものは別に一人でささっとやるほうが早く終わるのですが、Sさんと他愛のない話をする時間というのが楽しみでした。

 

 

私から見たSさんのご家族は非常に仲が良く、団結力があって、昨年Sさんのお孫さんが少しトラブルのようなことを起こしてしまっても、決して彼を責めたりするわけでもなく、事を大きくしないようにしていたのももしかしたらSさんの人柄というのもあったでしょう。何かあるときには普段礼拝に来れないSさんの息子さん(まだ働き盛りだからというのもあるでしょうが)やそのお嫁さんも来るくらいです。やはりご葬儀の時も同じで全員がおそらく家族の中心にいてまるで「太陽」のような存在だったSさんのためにお孫さんも遠くからやってきたのでしょう。

 

 

 

ご家族だけでなく、Sさんの趣味や華道教室の生徒さんも多数お見えになっていました。最後出棺の前に祭壇のお花を入れるわけですが(これはキリスト教でも変わらずにやります!ただし釘は打ちません。そういう習慣がないので)女性、ということでピンクの棺だったのですが、棺からあふれ出そうなくらいのお花が棺にありました。華道の先生だったし、たくさんあふれるほどのお花に囲まれながら天国へ旅立つ…まさにSさんの人生のすべてがそこに表れていました。多くの人が突然の死を悼み、Sさんのために駆けつけていました。それだけSさんが多くの方との「つながり」を大事にしていたかということを改めて実感しました。

 

 

あろうことか、通夜はなんとか来そうになってセーフ、となりましたが(でもハンカチは用意していました)、やはり喪主挨拶で思わず私ももらい泣きしてしまいました。亡くなるまでの数年間しかSさんとのつきあいはありませんでしたが、亡くなる直前まで本当にお世話になっていたし、年齢の差はそれこそSさんのお孫さんと変わらないくらいなのでかなりありましたが、教会のある意味での「戦友」というか共に歩んでいた方でしたので、「どこかで泣けてしまうかも」という予測はありましたがやっぱりそうでした。

 

 

Sさんの教会のほかの方が亡くなったときにご葬儀で途中喉の調子が悪くなって声があまり出なかったときに「途中から声が聞こえなくなっちゃったじゃない、いつもあなたの歌う声に合わせて歌っていたのに」と言われたことを思い出しました。だからこそもう聞こえることはないかもしれませんが弾きながら精一杯歌いました。そんなことも思い出しました。

 

 

そんなこともあった2日間でした。今日は本当はできなかったことをいろいろ片付けないといけませんが…。