piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

佐藤初女さんが残してくれたもの

みなさんこんにちは、Piantinaです。

 


昨日、たびたびこのブログでも話題にさせていただいた佐藤初女さんがお亡くなりになりました。ニュースは各所でも出ているかとは思いますが。とりあえずリンクを貼っておきます。

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以前から「読みたいなぁ」と思っていて、昨年やっと佐藤さんの著作を読んで、その生きざまの素晴らしさや信仰に触れて、「この人はシスターじゃないけれどシスターのようだ」と思った方です。悩みや困難を抱えた人を優しく受け入れ、そして一切自分を押し付けない。そして、はたから見れば「面倒だろうなぁ」と思ってしまうようなことも、面倒がらずに相手の顔を立てるためにこなす。料理は何があっても手作り。

 

 

弘前カトリックの教会で信徒総代(信徒さんの代表者)になるのもわかる気がします。教会に通うクリスチャン女性のお手本ともいうべき存在かもしれません。それはカトリックプロテスタントの別を問わずに、キリスト教における「信仰の先輩」と仰ぎ見て、見習えるところは少しでも見習って信仰生活を送っていかなければなぁと思っています。

 

 

とかく教会生活をしていると「委員を引き受けたくない」という話や「自分の家のことや仕事の都合があるから教会のことで遠出できない」という「自己都合でなるべく面倒ごとを引き受けたくない」話をたくさん聞いてしまって、初女さんのようにガールスカウトの仕事や教会にまつわる仕事をお引き受けなさって(しかも決して身体が丈夫なほうでもないのに!)フットワークのいいお方なんだなぁと思っていました。四の五の言わずにとにかく引き受ける、面倒がらない大切さを学ばせていただきました。

mayflower81.hatenablog.com

昨年から有名人にしろ、自分の身の回りにしろ、「喜ばしいお知らせ」よりも「訃報」に触れることが多くなりました。飼っていた猫も、教会の信徒さんも天に召されていって、だんだん自分が取り残されて「もしかしていろいろな順番上、私が最後なんじゃないか?私が教会最後の生き残りかも??」と思うほどになってしまいました。

 

 

はて、その「最後の、ラスト・クリスチャン(オルガニスト?)」の私が死んだら誰が葬式をやってくれるのだろうか?一応甥と姪はいるけれども、私と甥・姪たちは血がつながってないし、私は外からやってきた嫁なので、あまり迷惑をかけたくないなぁと思ってはいます。せめて葬式代くらいはなんとか残して、「遺産には期待しないでくれ」と願うばかりですが。

 

 

まぁ最後なら最後として、音楽であれ何であれ私自身が「素晴らしい」と感じ、「これを伝えていかなければ」と思ったものをいろいろな人に伝えていくのが、もしかしたら自分に与えられている使命なのかもしれません。これは別に血縁があるかとか家族だからかとかは関係ないものだと思います。少しでも自分よりも「若い」人たちに「引き継いでいく」のが自分の仕事なのではないかと思うのです。

 

 

初女さんは亡くなってしまいましたが、イスキアも残されたスタッフの方が引き継いでいかれるでしょうし、思いや言葉は本として残っていくと思います。そして本や映画などでイスキアを知った私のような人たちもいるわけですから、初女さんの生きざまやメッセージを胸に抱きながら新たに生き、そしてそのメッセージをたくさんの人に伝えていかなければならないと思うのです。中にはイスキアのような「場」を作る人もいらっしゃるでしょうし、「場」は作れなくても、ほかの手法で思いを継承していく人もいるでしょう。そうしていくことでまだまだ初女さんは生き続けていくだろうと思います。

 

 

面倒くさいと言ってはダメ――とかく時間に追われていると料理を作る時間、出来上がるまで待つ時間がないとついつい出来合いのものやインスタントのものに頼りがちになってしまいます。だけどもごみが出たり、はてまた健康を害したりとめぐりめぐっては地球を壊してしまうことにつながるというのです。

 

 

そして、料理や栄養に「知識」をあてはめすぎないこと。「これは”陰”の食べ物で身体を冷やすからダメ」と知識でガチガチに固めすぎないで、心を込めて、手間をかけて面倒くさがらずに作ること。この思いを胸に今日も台所に立たなくては。気持ちはつらいですが、追悼の想いも込めて「にんじんの白和え」を作らなければ(すっかり我が家でも”イスキアのにんじんの白和え”が定番になりました)。

 

 

最後に、地上での生涯を終えた初女さんの魂が神様の御許で安らかに憩われますように、そして残されたご家族、ご親戚、関係者の皆さまにもどうぞ神様の慰めがゆたかにありますようお祈り申し上げます。