piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

終戦記念日に思うこと

みなさんこんにちは、Piantinaです。
今日は終戦記念日でもあります。各国によって第二次世界大戦の「終戦記念日」というのは微妙に変わって、9月2日という国もあります。だけどもここ日本では玉音放送が放送され、戦闘を止めた8月15日が終戦記念日ということになっています。

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なんとなく「平和」というイメージで選びました。足成の素材です。

 

私もももちろん、私の親も「戦争を知らない」人たちです。戦争が終わってから生まれた世代の人間なので、自分の祖父母から断片的に話を聞いて、その当時の様子や暮らしというのを想像するしかできませんでした。まぁ教会に通うようになってからは自分の祖父母世代というのがまだ教会に元気に通っていますので、時たまその時代の話を耳にすることもあります。

 

 

もちろん、今私たちがこうしてネットを使えたり、好きなものを観たり好きなものを聴いたり、またはネット上でそれぞれの主張を自由に言い合え、自分の知りたい情報をどんどんと調べられる世の中ができあがっているのも先人の苦しみの犠牲のもとになりたっているのだろうと思います。戦争に負けてアメリカから「もう戦争はしません」という憲法を与えられたけれども、基本的人権を保障され国民主権が守られています。

 

 

 

そのことに関して右も左もごちゃごちゃ言っていますが、どうでしょう?今年やっとアメリカのオバマ大統領が広島の原爆記念館を訪れていますし、時代は少しずつまた動いているように思います。もう70年も経ったのですから、これだけテロが頻発する世界になってしまったのですし、少し憲法を変えてもいいのでは?と思うのです。よくよく映画に出てくるような塹壕を掘って銃をもって走り回るような戦争ではなく、戦争は何の丸腰の市民を狙った「テロ」に形を変えてきているのですし。

 

 

それに、可能性は低いかもしれませんが仮に日本の周り近隣の国で戦闘状態になったときに日本は「憲法第九条があるから何もしませ~ん」と言って「何もしない」でいて本当にいいのでしょうか?ご近所の国なんですから、せめてできることをして助けてあげるのが人と人とのかかわり方だと思うのです。国は人の集合体でもあると思うのです。「困ったときはお互いさま」の精神で何か協力ができればとは思うのです。
災害の時とか周りの国の人たちが助けに来たりお金を寄付してくれたでしょう?

 

 

話はちょっとそれましたがその大きなアメリカに追いつけ、追い越せ、武器ではなく今度は経済で、ということで日本人はそれこそ必死に働き、今では「ブラックな働き方」と言われてしまいますが、それこそ朝から晩まで大人たちは働き、子どもたちは教育を受け、そして必死に働いたお金で家を建て、家電製品や自動車、洋服などを買う生活をしてきました。前回の東京五輪では新幹線や高速道路網ができあがり、人の移動もどんどんスムーズになってきました。

 

 

東京が豊かになると今度はその利益が地方にも回るようになり、今や田舎だからといって電気もガスもないなんてこともなく、普通に都会と変わらない生活はできてはいます。まぁ多少汲み取り式のトイレ率が高いとかウォシュレットが少ないとかの違いくらいはありますが、お店も進出していますし、今やamazon楽天さえ使えればだいたい都会と変わらない生活ができるのです。

 

 

今日は過去の戦争で命を落とされた方々、障害を負われた方々、家族を亡くして苦しい生活を余儀なくされた方々の苦しみを思い、そしてその犠牲のもとに、そして今もなお日本の陸海空にわたって領土・国土を身体を張って守ってくださる方々の尽力にも感謝しながら「今享受している平和」をかみしめながら一日を過ごそうと思っています。