piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

伴奏者も奏楽者にも御礼は必要です。―たとえ奉仕であっても―

みなさんこんにちは、Piantinaです。
FBのクラシック系のグループでこの記事がシェアされていましたので、気になったのでこの記事を読んで思ったことをいろいろ書いていこうと思います。

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shimonsano.blogspot.jp

 

佐藤主聞さんはプロのピアニストでいらっしゃいます。まぁピアノというともちろんソロでも弾くことはありますが「歌やソロ楽器の伴奏」というのもたくさんやるというのは聞いたことがありますし、実際にいろいろそういうコンサートにも行ったことがあります。

 

 

余談ですが、私自身もクラスの合唱コンクールのピアノ伴奏をやったりしていました。アレは不思議なもので中学生や高校に入ったばかりだと伴奏をやりたがる人というのは結構じゃんけんで決めたりするほど立候補してくる人もいるのですが、学年が上がるとやりたがらない不思議があります。晴れてクラスの伴奏ができた(というか誰も手を挙げなかったので私が手を挙げた)のは高校2年。で、高校3年になると伴奏者決めのときに2年で同じクラスだった人が私の方を見てくるのです。

 

 

 

なんだか、そういう感じなのでしょうかね?年齢が低いうちはまだまだピアノのレッスンを辞めていなかったり、辞めてから日が浅かったりで弾けたりするものですが、年齢が上がると音大や教育関係に行く人、もしくは単に「弾くのが好き」でない限りなかなかピアノのレッスンって続けていないと思うのです。私はちなみに後者のタイプです。

 

 

さて、はなしがずれまくりましたが、まさに私が「行けるときには行ってる」本田聖嗣さんのサロンコンサートなんかはまさにそうで、もちろん本田さんソロの演奏もあるのですが、伴奏をされているところもあり、しかも本田さんご自身は車で会場に来ているのでアフターパーティのワインはいつも演奏者自ら(!)お酌をしています。

 

 

 

パリ音楽院をプルミエ・プリで、そして芸大を卒業されている一流のピアニストがですよ!ライヴ後に握手してCDを売るアイドルと変わらないことをしているのです。でも、インターネットラジオOTTAVAのリスナーさん同士の親睦も深まり、インターネットの向こう側のOTTAVAのプレゼンターさんともお話ができるという距離感が近いクラシックコンサートですし、何せ「気負った格好をしなくても聴ける」というのも魅力です。

 

 

で、本田聖嗣さんのコンサートの話はおいておいて、ここでは「たとえ学生さんであっても”他人に伴奏を頼むとき”」ということが問題になっています。まぁ製本はバラバラなのは「製本にこだわりがあるだろうから」とコピーされただけの楽譜をポンと手渡される。いい人だと御礼をきちんとしてくれるけれども、ひどいとご飯をおごってくれたりすらもしないという人もいるそうです。なんでしょうね、学生だと思って「低く見られてる」のでしょうかね。たしかに製本は個人の見やすさやめくりやすさなどもあるから表裏で重ねる人もいれば、横に長~~~くする人もいます。まぁそれだったら最初から原本だけ渡しておいたほうが親切なのかもしれません。

 

 

だけども、そういったところから信用関係、信頼関係というのは出てくるもので、「共演者に恵まれる演奏家」というのはそこら辺のことがきちんとできるのかもしれませんね。やはり人と人とのかかわりあいが大事なのでしょうから、そういったところで「味方」を増やさないと大変なことになったときに手を差し伸べてくれる人がいなくなるのかもしれません。そう考えると芸能人とか女優さん俳優さんとかもそうなんでしょうね。きっと。

 

 

「え?まだまだ学生のあなたを伴奏に選んでいるだけありがたくないの?」
「たとえ伴奏でも、演奏機会に恵まれるだけありがたくないの?」
頼む側は思われるでしょうが、それだけでやっていられる世界ではありません。
今やピアノではなくなりましたが(たんにお呼びがかからないだけ!笑)、
楽器を変えてオルガンになってくると完全に「伴奏者」に近い感じになってくるので(もちろんオルガンにもソリストの世界というのはありますが、単に私はそれほどうまいわけでも専門的にそういった演奏技術を学んだわけではありませんのでやらないだけです)、そういった方の気持ちは少しは理解できると思います。

 

 


結婚式に関してはリハーサルもありますし打ち合わせ段階でいろいろと話ができますし、顔を合わせるので頼む側もきちんと謝礼をくださるのですが、葬儀に関してはご遺族様もてんやわんや(死は突然にやってきますからね)、悲しむ暇もなく手続きや葬儀社、宗教家との打ち合わせに入るわけですから、直接葬儀の打ち合わせをしていろいろと「お世話になった」聖職者のほうには御礼が来るのですが、同行したオルガニストへの謝礼を忘れているケースも数多く見受けられます。我が家の場合は教会の上部組織でもある教区から給与を支払われ、人事関係もすべて上が行うわけですので、牧師への謝礼の一部がたまに私への謝礼として後日渡される時もあります。

 

 

 

冠婚葬祭はこうして謝礼は基本的に出るのですが、毎週日曜日の主日の礼拝に関しては何の御礼もありません。まぁ海外の超有名音楽院出のオルガニストが弾こうが、私のように超アマチュアでやってるおばさんが弾こうが「タダの奉仕」。まぁ前者くらいの経歴があればたまに気持ちのある方が「これで楽譜でも」と金一封くらいは御礼してくださるかもしれませんが(笑)私だとまぁ~たまに野菜や果物、お米の現物支給(これはこれで家計が助かりますが)だったりします。あとはお昼を多めに盛ってもらったりとか(これは女性的に微妙な御礼ですが…)。

 

 

 

「奉仕じゃないか!ボランティアだぞ!グダグダ言わずタダでやれ!」と言われればそれはそれで仕方がないしぐうの音も出ないのですが、鍵盤楽器の演奏技術をそれなりに時間とお金をかけて身に着けた人に対してお金や現物がたとえなくても「お疲れさま、いつもありがとうね」という一言もないのかというとそれも「う~ん」という感じです。

 

 

 

たしかに「奉仕」というと「見返りを要求せずに自発的にやってもらうもの」という感覚がありますが、それだって大事な時間を練習時間に捻出したり礼拝に適切な曲を選曲したりとあるわけです。そして自分の時間を礼拝のために「捧げている」のですから。そりゃ日曜の午前中、何にもなければ買い物に出かけたいですし、洗濯だってしたい。思いっきり寝坊したい。でもオルガンの奏楽があるからそんな「よこしまな気持ち」にふたをして弾いているのです。もちろん「弾いていて楽しい」時もないわけではないですし、自分の「弾ける」賜物を礼拝の場で用いることができるのならそれはそれで長い時間と莫大なお金をかけて技術を習得した(している)甲斐があります。

 

 

 

ま私はここで「御礼クレクレ」をしているわけではなく、だけども「人様にやってもらうのだから、たまには感謝やねぎらいの言葉くらいはかけるくらいの気持ちを持ってほしい」と思うのです。