piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

昨年お亡くなりになられた方の記念式(一周忌)があります

みなさんこんばんは、Piantinaです。
昨年、亡くなる直前の日曜日に元気だった姿を見せてくださった教会の方が突然、くも膜下出血でお亡くなりになる、ということがあり、実はその晩は眠れず、ご葬儀のことも記事にしたかと思います。 

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ちょっと命日を過ぎてしまいましたが、もうすぐ逝去者記念式がありますので、思うことを書いてみようと思います。教会になじみのない方は「なんのこっちゃ?」という言葉なのですが、仏教に置き換えれば「一周忌の法要」に値します。これをキリスト教の教会では「逝去者記念式」と申し上げております。ただ、仏教の場合はお寺さんに行って、お経読んでもらって、お話し聞いて…という感じですが、教会の場合は礼拝に「参列する」という形ですし、比較的聖職者と信者の距離感がぐっと近い感覚があります。

 

 

あれから、1年間結局状況は大きく変わらず、という感じですが、私がその方のやっていた奉仕も受け持つことでどうにか礼拝を守り続けているところもあります。記念式が近いのでふと思い出すと、そこの教会でいろいろと仕事をするのにその方に相当助けてもらったり、またある時は相談相手になったり、雑談をしながら礼拝の洗い物などの片づけをしていたので、最初のうちは「1人で全部やらなくては!」となってしまっていました。

 

 

だけども1年すべての季節がまわりまわってくると、私1人でやることにだいぶ慣れてきてしまいました。当初は「話したり手伝う人もいなくて大変だなぁ」と思っていたのですが、体が慣れてくれば慣れてきたでどうにかできているところもあります。

 

 

とはいえ、ただでさえ礼拝出席する信徒さんが少ない教会でしたから「1人お亡くなりになる」ということがすごく大きなことになってしまうんだな、ということをまざまざと実感した1年間でした。亡くなる直前に「あと22年(つまり100歳まで)生きなくちゃね!」と元気に語っていたのを思い出すと切なくなります。

 

 

その方とはわずか3年余りのつきあいで、それも突然という形で終わってしまったのが本当に寂しいばかりです。信徒さんの中には「小学校から一緒」という方もいましたので、亡くなられてすぐの時には本当にやつれたような感じでいました。そして交友関係も広い方でしたし、なにより華道の先生をされていたので、生徒さんたちにも慕われていたのか、たくさんの教え子の方が葬儀にいらしていました。棺が花でいっぱいで「閉められるかな?」と思うほどあふれかえっていたのをまだ思い出します。

 

 

記念式にはやはり短い時間とはいえ、たくさんお世話になりましたから出席しますし、オルガンの奏楽もするつもりです。