piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

続・たとえ何者にならなくてもたくさんのジャンルに触れるべき―私の音楽教育考―

みなさんこんにちは、Piantinaです。
昨日「たとえ何者にならなくてもたくさんのジャンルに触れるべき―私の音楽教育考―」という記事を上げさせていただきました。この記事は続編というか言い足りなかったこととかです。

 

mayflower81.hatenablog.com

 

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長々と(3000字以上!)自分の音楽とのかかわり、今に至るまでの音楽とともに歩んだ私の半生(約30数年間)を振り返りつつ、時に音楽をすることが嫌になったり、時に音楽によって助けられたリ、音楽によっていろんな人たちと出会うことができた、という思いと、著作権料を取られるからとレッスン料が値上げになったり、いろんなことを音楽教育に携わるプロの方が委縮してしまって将来の音楽を担うであろう(演奏家でも聴く側でもどちらでも)子どもたちに「この世にはいろいろなタイプの音楽があるんだよ」と教えたり背中で示したりすることができなくなったら、という思いも書きました。

 

 

というのも、私の音楽教室時代の仲間たちは後々、母親同士で会ったりして近況などを話すと、卒業した後もなんだかんだで「音楽とつながっている」のです。男の子はさすがにやっぱりバンドですかね。ギターなどをやったりしていたようです。女の子だと吹奏楽部に入ったり、ピアノを続けたりいろいろ。私は吹奏楽部には入りませんでしたが。

 

 

中には吹奏楽部に入って、そこから音大に入ったという話を風の噂に聞いた人もいます。ほかには自衛隊の音楽隊に入った人も知っています。まぁキリスト教の洗礼を受けて教会のオルガニストになって、教会にお嫁に行ったなんて人はきっと私だけかもしれませんが(笑)まぁ私の周りだけですので、そうじゃない人たちもいっぱいいるかと思います。

 

 

音楽教室を卒業した人たちが必ずしもプロの演奏家や教師や何かにならなくても、「一生の趣味」として、または「鍵盤楽器を演奏することができることで教会で奉仕をすることができてみんなの役にたっている(…と私は思いたい)」という卒業生の姿を当時の先生方が見たとしたら、感動のあまり涙が出てくるのではないかと思うのです。たとえなにがしかのコンクールで賞を取ったとかそうじゃなくても。アマチュアバンドだったとしても。もし私がピアノの先生だったら教え子がそうやってピアノでなくても別の楽器でも音楽を楽しんでいる姿を見たらそうなっているだろうな、と思います。

 

 

子どもに音楽を教えるというのは、大人側から「世の中にはこんな種類の音楽や楽器があるんだよ」と音楽のいろいろなことが書かれたカタログを見せるのと同じことなのではないかと思います。何を選択するかはその子の自由。クラシックのピアノを極めたいでもいいですし、ロックミュージシャンになったっていい。DJになったっていい。はてまた民族音楽とかキリスト教教会音楽の大海で溺れていたっていいわけです(←これ私w)