piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

稼ぐ額よりも、いかに家族に感謝され信頼されているかが主婦の勝負所。

みなさんこんばんは、昨晩こんな記事を見つけました。

news.careerconnection.jp

別に学歴を自慢したいわけじゃないですが(自慢にもならないからw)、都内の有名な私立大学を出ています。名前を言えば「あああの大学ね!」と言ってもらえるような大学を卒業しています。卒業はできましたが就職にあまり恵まれず、しかも資格も持っていなかったのでずっと非正規、非正規でさらにメンタルも病んで、一歩間違えれば実家には住んでいるけれど貧困女性まっしぐらというところでした。とりあえず、教会に通うクリスチャンでよかった。とりあえず、学生時代に礼拝でオルガンを弾くという経験をしておいてよかった。

 

 

結婚後に仕事を辞めたのは、よくある理由で「夫に転勤の辞令が出たから」。
通える距離にもなく、実家に平日居ながら土日だけ夫と過ごすという生活をしてもよかったのかもしれませんが、そこまでしてしがみつく仕事ではなかったからというのもあります。続けていればよかったかなとも思いますが、やはり夫の職業上、「世間体が悪い」のです。妻があまり外に出ている、という状況は。

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だけども、私のように転勤で、という理由もあれば、出産子育てが理由で、という人もいますし、介護が理由という人もいます。だけどもそもそも現代日本で「名の通った大学(国立私学問わず)を卒業するのが就職のためのパスポートなのか?」という問題もあります。そもそも大学というのは「学問をするための機関、学術研究のための機関」と私は認識しています。

 

 

それに、「女子ながら」の理由もあります。
「将来の結婚相手に出会う場」でもあります。私の周りで30歳前に結婚した人たちは学生時代に出会っていたり、学生時代から付き合っていた人たちでした。30歳くらいになってくると職場などでの出会いになりますが、「子どもを持つこと、子育ても考えて」ということを視野に置いているのならば、学生時代に出会っておくのが一番だと思います。

 

 

なぜならって?
社会人になると圧倒的に出会いが「ない」。学生時代の方がよっぽどあります。
周りの人はだいたい結婚していて子どもがいる。
そういう状況なのです。若い人でも独身かと思ったら「婚約中、近々結婚します」という人だったりしますしね。

 

 

それにだんだん社会人になってくるとどうしても「利害関係」だとか「この人と結婚して何が得られるんだろう」とかあれこれいろいろ考えたら逆にどんどん縁遠くなっていくのです。その点、学生時代のうちだと曇りのない目で相手を見ることができますし、利害関係のない友達関係からだったりすると「この人がどういう人か」がわかって結婚できるのです。

 

 

あと、私の場合は学校を出てから何年も経って夫と出会いましたが、夫の上司(というと変かも?でも人事を決めることはできるし)に当たる方に近々結婚する意思があるという報告をしに行ったときに言われたのは「この仕事の奥さんとなられた人で独身時代の仕事を続けられた人はほぼいない」と言われました。今となってはわかります。転勤もありますし、どこか「外にしょっちゅうでかけているのを嫌がられる」ところがありますし、「できてパートしかできない」という感じです。

 

 

でも、果たして「時給800円」でもたとえば家族のために家事と仕事を両立させていたり、家族に喜ばれている、お母さん(奥さん)のおかげでほかの家族が安心できる、のならパートでもらう時給以上のことをその主婦はしていると思うのです。むしろ億の単位でおかねをあちこっち動かしているだけの人のほうがどれだけ「人に感謝されている」のでしょうか?

 

 

話は変わります。
今朝twitterを見たらこんなツイートがRTで回ってきました。

う~ん、たしかに一見「それって趣味って言えるものなの?」な女性はたくさんいます。
着るものだったり、料理だったり、裁縫かもしれない。メイクとか。実用につながってしまってるというか。
私はたまたま幼いころから音楽に接していて、結局聴くのも弾くのも歌うのも見に行くのも好きという人間なので、お金と相談しながらインターネットラジオ局OTTAVAの支援をしたり、コンサートやクラウドファンディングのCDを購入したりしています。

 

 

でも夫は私から音楽を取り上げたら「寝込むほど病むか死んでしまう」と思っているので、そこは取り上げないでいてくれています。まぁいちいちクラシック音楽をDisったり、音楽そのものdisったり、なんだかもう「あなたはこんなにも言葉で人のことを傷つけて楽しいのか?」と。

 

 

で、本人にまったく「罪悪感」というのもありません。まったく妻を何だと思ってるんでしょうね?傷つけていい何か、何言ってもいい存在なんでしょうね。そこに愛なんてないと思います(ちょっとこの話はまた別の話で書きます)。暴力はなくとも暴言はひどいです。どこぞの国の大統領閣下の暴言なんかよりもひどいです。

 

 

で、とにかく。まぁ毎日クラシック音楽インターネットラジオは聴いていますし(かけっぱなしというか)、まぁ弾くほうはどうしても住宅事情があってなかなか弾けないでいますが、たまに様子を見て練習をしたりしています。それにやはり和声を勉強して大分「譜面を見て、読んで」弾くようになっているので、指のほうは恒常的に動かしているから大丈夫と先生に言われるくらいなのでその辺はいいかと。

 

 

でも、姉も趣味がありますし、母もどうだったかというと、それこそ姉と私が幼い時代は「ワンオペ育児」でしたが、私が小学校に入り、姉が中学に入り出したら仕事を始めました。もちろん結婚前にしていた仕事ではありませんが、職場を見つけて、です。私が中学受験でいったんその職場は辞めましたが、私が地元の中学に入ったらまた別の仕事を始めて、職場で友達を作り、食事、テニス、ときには旅行に行っていました。そのころ姉は大学生、私は中学~高校生。まぁ「指示書」が書いてあればそのとおりにできる年頃です。

 

 

母がさらに私をして「達人」と言わしめるのは「家でもできる趣味がある」こと。
常にラジオかテレビがかかっていたのですが、バッグやバレエのトゥシューズ入れ、いろんなものを作っていましあたし、結構レベルも高かったです。洋裁学校に通っていたというのもありますが。子どもの時には服も(!)作ってくれましたよ。ミシンがあって。編み物、刺繍、ビーズアクセサリー作りという趣味まで持っているのです。

 

 

それを「無趣味」と片付けられますか?と私は言いたいです。
なんだかこう、「普通の主婦」をどんどん肩身を狭くさせてなにが楽しいのだろうな…と思った話でした。さっきの話と無理やりつなげれば、「教育年数が長く、教養があるということは”趣味を持ちやすい”のではないか」とも思うのです。

 

 

つまり、家の中で料理のレシピを研究したり、学習経験が家事能力がなくても「調べる」癖がついていますから、やり方がわからなくても調べて解決したり、時給800円のパート生活でもどうにか生活が回るように工夫してみたりということができる「ポテンシャル」ももっているのではないかと思うのです。