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piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

『夫がアスペルガーと思ったとき妻が読む本―誰にもわかってもらえない”カサンドラ症候群”から抜け出す方法―』を読んだ。

日記 カサンドラ症候群 メンタルヘルス おすすめ商品 レポート系

みなさんこんにちは、Piantinaです。
謝礼をいただいたので、少しはOTTAVAクラウドファンディングに(やっぱり音楽で得たものは音楽に返したいと思いまして)、あとは本を買い、シルクふぁみりぃさんでまたしてもたくさん買ってしまって…。

 

 

Amazonで注文した本の中にはこの本も買うことにしました。
実はこの本、リアルの書店で見たことがあって、「買おうかな」と迷ったものの、「やっぱいいや」であきらめたものの、何かでAmazonを見てて、たまたまこの本のレビューを見たらすごく高評価。「ええっ?!買っておけばよかった……」と後悔して、いただいた謝礼で思い切って買うことにしました。

 

 

以前からいろいろと「アスペルガーのパートナー側」に向けて書かれた本というのはいくつも読んでいますが、だいたいが英米(?)の著者なので、若干「日本ならでは」の感覚がなかったなぁと思いつついました。逆に私はクリスチャンでもあるので海外の著者の「アスペルガーと信仰」的なところの部分は「ほほう!なるほど!」と思う部分もありましたがね。聖書ヲタクのAS男性とか、信仰熱心のクリスチャンのASとかは。

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著者の宮尾益知氏はよく発達障害関係の著書の翻訳などもされており、この本は心理士の滝口のぞみ氏との共著という形になっています。

 

そもそもは「子どもの発達障害」から始まった

本を読んでみると、「アスペルガー×カサンドラ」の夫婦の話からなのかと思いきや、最初は「神経発達症」の子どもの育児の問題から始まって、子どもの当事者とお母さんのカウンセリングや治療をしているうちに、母子家庭でもないのに「お父さん」のエピソードが出てこないところから始まったようです。

 治療について私たちが心がけたのは、まず子どもを良くすることでした。保護者には子どもが良くなってからアプローチするのだと決めていたのです。子どもが良くなれば、母も自分自身を見る余裕ができます。(略)
そこで気がついたのは、まるでシングルマザーのように、母から父の話が全く出てこないことでした。彼女たちにいろいろ聞いていくと、父はとても忙しく、休みの日に子どもたちを公園に連れて行ってくれるという話でしたが、父が登場するのはそのようなときだけでした(6ページ)

また、

話を聞いていたお母さんたちの中には、うつのお母さんもたくさんいました。
子どものことを離れて夫婦のことに話を移していくと、父(夫)が自分のことをわかってくれない、セクハラ、パワハラ、DV等の話と、子どもを理解することができず、子どもに対する虐待まがいの話まで聞こえてきました。(6~7ページ)

ともあったのです。つまりは「子どもを見ていたら、どうもお母さんの話ばかり、お父さんはとなったらなんだかこれは大変そうだぞ」ということだったようです。そこで、宮尾氏はアストンの「カサンドラ症候群」と出会うことになったそうです。

 

 

世間やメディアからの「結婚する前にわからなかったの?」「女性の自己責任」という冷たいバッシング

この本には発達障害の子どもとその親との「家族単位」でのカウンセリングや治療での話から、「なぜ結婚に至ったか」 「新婚生活、妊娠時に傷ついたこと、子どもを持って変化したこと」「子どもが学童期になった時の困りごと」「お金に関する葛藤」というごくごく家庭で起こりうる問題や、実際のトラブルなどについてきめ細かに書かれています。

 

 

でも、本当に「結婚する前にそういう人だってわからなかったの?」とか「あなたの自己責任」とかは言われます。人に直接言われるというよりは、「カサンドラ症候群」がメディアに登場すると、テレビに登壇している芸能人の方の何気ない発言ですとか、その番組を観ているネットユーザーなどのツイートを追うと「むしろ発達障害当事者側からは迷惑!」「発達障害者は結婚しちゃダメなんですね」と言われたりして「心無いなぁ!」「ホント、信じてもらえないよ!」ともう乾いた笑いが出てきそうになります。

 

 

読み進めると「あ!これはある」と思うところと、我が家は子どもがいないので、子育てに関してはちょっと予定もないし、あまり関係ないかな…と思うところもありました。お金に関しては……借金作るほど浪費家どころか「ケチ」です。しょっちゅうコンセント抜いたりして(地味に困る)。

  

「子どもはいらない!」のならせめてはっきり言ってほしかった

読んでいて、「本気で子どもはいらないと言うASの夫」という項目がありました。
我が家には子どもはいません。子どもを持つ予定もありません。それどころか「子どもを持つための何か」もしていません。不妊治療とか。タイミング?とか。でも、「はっきり”子どもは欲しくない!”という人がいるんだなぁ」と思いました。

 

 

我が家は夫はASですが、子どもに関しては話をするとはぐらかされるか、話を変えられるか、その話は無視されるか、「自分の子どもを持つこと」にはあまり触れてくれませんでした。ただ、赤裸々な表現ですが、夜の生活もありません。でも、何も言わずにいるのならむしろあえてハッキリ「俺は子どもはいらない」と言ってほしかった。というのが私の本音です。

 

 

そうはっきり言ってくれれば、一時的には傷ついてすごく落ち込んだかもしれませんが、もっと早く「子どもを持つこと」を潔く諦められたと思っています。そこは「そういう本音を言ってPiantinaを傷つけたくない」という妙なやさしさなのかもしれませんが、30代の前半をなんだか悩むことばかりに費やしてしまった感があります。私の時間を返してくれ!と思いたいですが、時はすでに遅し。それに、もう私のほうが諦めてしまいました。

 

 

”信じてもらえない”カサンドラが希望をもって次に進むための本―「愛してしまおう」とはこういうことだったのか!―

私はこの本の凄く評価したいところはよく相談などにある「もう別れちゃいなさい」「離婚しなさい」「別居すれば?」という答えでもないところです。それと「苦しい、つらい、と思っていてもあなたはどこかで彼を愛しているのでは?それならば、コミュニケーションをわかりやすくして”修復”をはかることができるのでは?」というところです。つまり「別れ」が必ずしも「100点満点の答え」ではないよ、ということを提示しているところです。

 

 

もちろん、別居して自分を取り戻した人も私は存じ上げていますし、離婚された方も知っています。でも別居も離婚もどちらもサポートや経済力がないとできませんし、離婚に至っては結婚以上のエネルギーが必要とされるともいわれています。それに私の場合は教会の人間なので、やはり聖婚式式文にある「神が合わされたものは、人は離してはならない」という最後の宣言がひっかかるのです。つまり、神様が合わせた2人は、第三者が入って引き離す(つまり不倫)ことも、自分たちで対立しあった結果「離別する」となってもいけないことなのです。

 

 

近年では離婚に一番厳しいとされるカトリックでも離婚はタブー視されなくなったそうです。だけども、緑の紙を取りに行こうなんて思うときにふと「あんなに大勢の前で誓ったことを無下にするのかい?」とも思うのです。そこに結婚式をする意義があるのではないかと思うのです。お金はかける必要はありません。たくさん人を呼ぶ必要もありません。でも、そういう「つなぎとめる何か」に「結婚式の思い出」や「子ども」があるのかもしれません。

 

 

あるカサンドラ本には「(特性を)愛してしまいましょう」とありました。
「愛するためのヒント」が、ここに書かれています。