piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

ありがとう、さようなら

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昨日、2015年1月27日20時01分、我が家の猫のめいちゃんが天に召されました。享年1歳8ヶ月と22日。くしくもこの日はモーツァルトの誕生日でもありヴェルディの命日でもります。クラシックが大好きなめいちゃんらしい日でもあり、また最期も健気で頑張り屋さんのめいちゃんらしいものでした。ほぼ脳死状態でありながらも、自力で呼吸ができなくなっても、めいちゃんの心臓は動き続けていました。だけども治る見込みも無く、「めいちゃんをおうちにつれて帰ろう」という結論に至り、人工呼吸器をはずすという重い決断をしました。
 
 
人工呼吸器をはずしてもめいちゃんの心臓は動き続けました。
もう意識はない、聴こえているかもわからないけれど、私たちはめいちゃんに自分達の思いを伝え続けました。めいちゃんの命の終わるその瞬間に立ち会えたこと、最期に「うちに来てくれてありがとう」と伝えることができたこと、このことは生涯忘れ得ない思い出にもなり、「自分のできる全てのベストは尽くした」と無理やりでもありますが、そう思うようにしています。
 
 
よくよくペットロスを起こす人の中には動物病院を恨む人もいますが、私はめいちゃんに関しては非常によく診てもらいましたし、対応にも不満を感じることはありませんでした。むしろ最期まで本当に尽力していただいたことには感謝しています。どんなに手を尽くしても助からないときは助からないことはある、ということはこれまで猫ではないけれども、ペットを飼っていた経験からも感じることです。
 

めいちゃんへ 

こんなにも早くお別れが来ることにまだまだ驚いていますし(この記事を書いているときも涙があふれてきます)、なによりも「まだ若いのに…」というのが正直な思いです。見た目もしかり、性格も素直でおとなしくて人懐っこくて、さびしがり屋で甘えん坊なところがあるけれども賢くて頑張り屋さんだっためいちゃんはずっと心の中に生き続けていく、そう信じています。夫や私が地上での生涯を終えて天国にやってきたとき、まっさきに飛び出して「遅かったじゃない!ずいぶんと待ったよ!」とばかりにまとわりつくあなたを楽しみにしています。それまではどうか私たち夫婦と遺された猫のももちゃんを天国から見守っていてくださいね。
 
 
めいちゃんありがとう、そしてさようなら。どうか痛みも苦しみもなく神様の御許で安らかに憩えますように。
 
 

やっぱり猫とはいえ…

人間も最近では「火葬だけ」といういわゆる直葬の形をとる方も多くなっています。確かに家族がいない、またはつながりがない、経済的に不可能などいろいろな事情があることも承知しています。説教臭いのは承知ですが、人間であれ猫であれ犬であれ「縁あって家族として過ごした」のです。それが20年近くだろうとうちのめいちゃんのように1年半ほどだろうと関係なく、「お別れの儀式」というのをやったとやらないのでは「悲しみの度合い」が違うと思うのです。なんだか「猫のためにお葬式をする」なんていうと「このネコキチが」と言われそうかもしれませんが、「気持ちの整理をする」ためにも何らかの「儀式」というのは必要なのではないかと思うのです。
 
 
ですから市役所に持っていってとか、燃えるごみの日に出すとかはやっぱりできません。あまりにもかわいそう過ぎます。ペット用の霊園に入れてしまうのはそれはそれでさびしがりやの猫ですので、遺骨は家に持って帰り、私が死んだときに一緒に樹木なり何なりのカタチ(まだ先の話すぎて決めていないけど、お墓は作らないのだけは決まっている)で一緒に自然に還ろうと思うのです。
 
 

残された人たちは疲れきっている

ペットであれ、人間であれ、「長い闘病生活の末に亡くなった」場合は遺された人間は疲れきっています。人間だと死亡が確認されると、「今度は葬儀社へ連絡しなきゃ、お寺の住職さんやら教会の牧師さんやらに連絡しなきゃ」で葬儀会社と宗教家がノコノコやってきてその対応に追われ、親戚や知り合い、故人の仕事の関係者などにもお知らせして、さらには役所の手続き関係も行わなくてはならないとなると「これは過労で倒れるんじゃないのか」と思うのです。
 
 
私の場合はペットですから役所関係の手続きなどは必要がないのですが、まだまだ何をしても涙が出てくる状態でもいろいろと葬儀の準備をしたり、連絡をしたりして、しかも精神的なものでおなかの調子が良くないので大変です。
 
 
私自身もいろいろな葬儀に立ち会って、「喪主さん大変だなぁ…自分はそこまでできるのだろうか」と不安になります。来てくださった方に応対しなければなりませんし気を使ったりしてさらに疲れがどっと出るのではないかと不安になります。
 
 
私の父は祖母の葬儀の喪主をやった後、歯の調子が悪くなって歯を抜いています。そして母も伯父の葬儀の手伝いなどをやった後に同じように歯を抜いてしまいました。それだけ残された側というのは大変なんだな、と思いますし、何よりその大変さを業者さんを使って負担を軽減するというのはなんとなくわかるような気がします。