piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

幼いころにピアノを習っていても難関大学に行けなかった私の話。

みなさんこんばんは、Piantinaです。
最近、受験シーズンなのかこんな記事をたくさん見かけます。

tabi-labo.com

prtimes.jp

www.excite.co.jp

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これらの記事はカシオ計算機難関大学東京大学京都大学慶応義塾大学、早稲田大学)の学生に調査した結果、43%の学生が幼少期にピアノを習い始めたという結果について書かれた記事でした。

 

 

う~む、結果として人より受験勉強を1年余分にやった(つまり浪人したということです)くせに私はこれら4つの大学のうちどれも合格しなかったのですが、まぁ、ぐだぐだしたこともありましたし、「まったく形になってない」と自己嫌悪したときもありましたが、いろんな人が背中を押してくれたり、「辞めるんでない!!」という神様の思し召しなのか今年でピアノを習い始めて30年になろうとしています。 

mayflower81.hatenablog.com

 

現役での大学受験に失敗したときに、「1年浪人するのだから」と上記4つの大学のうち国立ではないほうに合格することを目標に1年受験勉強を頑張ったのですが、結果としては不合格。「自慢乙」と言われそうですし、私の名誉のためだけに言いますが、それでも浪人時代は通っていた予備校の模試で全国優秀者の冊子に名前と出身高校と志望校が載ったことがあります。その大学も受けに行きましたが、私の能力不足でその「難関大学」に合格することも入学することもありませんでした。

 

 

私の母校となった大学はそれよりもランクが下のとあるキリスト教系の大学で、卒業後に大学の教派の洗礼を受けてクリスチャンになって近くの教会に行ってみると「あの人も、あの司祭さんも同じ大学の出身」と言われて、半ば「なんだか学閥みたいだなぁ」と思ったほどでした。実際東京や大都市部の教区や教会は本当に半ば大学の「同窓会組織」っぽくなっているんではないかなぁと思います。

 

 

まぁ大学に受かるとかどうとかという話はともかく、私はこうして時として「私」というアイデンティティを音楽で示しているということもありますし、時としては音楽に助けられながら、30ん年の人生を過ごしているわけです。あの時辞めなかったから、今の私があった、というとちょっと大げさかもしれませんが、「芸は身を助く」とはこのことだなと思いながら、最初に道を作ってくれた両親や家族には感謝しています。今となっては「教会にもうオルガンが弾ける人がいない!」という状態ですから、毎週大活躍、のんきに風邪もひくことができません。

 

 

私は小学校の5、6年生くらいまではピアノというか音楽教室に通うことは「単なる私の複数の習い事のうちのひとつ」としか思っていませんでした。クラシックバレエも習っていましたし、塾に通っていました。だけどもたまたまその当時流行っていた観月ありささんの曲を聴いて、その曲を作曲したのが小室哲哉氏で、小室さんの曲にどんどんとはまっていきました。まだまだ小室さんが「稀代のヒットメーカー」としてその名前をとどろかせる数年前のことでした。

 

 

その流れでTMN(TM NETWORK)のファンになって、「わぁ、こういう音楽ができたらなぁ」と憧れを持つようになってピアノを弾くのが楽しくなっていったのです。つまりTMは夢であり目標でもあったのです。もちろん木根さんの曲もいっぱい耳コピーさせていただきましたよ。おかげでグレードの聴音の成績は良くても初見演奏の成績は悪かったのですが。

 

 

その当時の私は聴いた曲を耳でコピーしてピアノで弾いたり、時には弾き語りするのが趣味でした。このとき身につけたスキルが今30代になって活きてくるとはまだ思いもよらなかった話です。おかげで「譜面が読めない私」になってしまいそれはそれで大問題になりましたが、おかげで中学高校の英語のリスニングテストはよっぽどケアレスミスをしない限り間違えることはなかったですし、英検のテストでもあまり自信がなかった割にはあとで答えを合わせたら全問正解していたほどでした。やはり英語も「言葉」ですし、音で覚えるという点では幼いころからピアノを習っていたりした甲斐があったなぁと思っています。

 

 

それに子どものうちからいろんな音楽に触れさせるというのは、感受性を豊かにさせたり、文化を学ばせることにもなりますし、歴史も学ぶことができます。そして、グループレッスンならば協調性や人間関係を作ることができますし、個人で厳しい先生に習っていれば根性が身に付きます。発表会で人前で演奏することで度胸が養われます。なんだかありきたりな話になっていっていますが、後々役に立つかと言われれば、協調性や根性や度胸なんかは仕事をするうえでも重要なスキルになっていきますし、文化や歴史がわかっていることは教養にもつながります。そして譜面を読むにはちょっとした計算が必要ですから数学の能力も養われます。

 

 

ただ、もとは「ピアノを習っていた子ども」でもあった私から言わせていただくと、辞めてほしいのは上記の記事を読んで安易に「難関大学に受かるかもしれないからピアノを習わせよう」ということです。これには賛成できかねるところがあります。子どもは親のそんな魂胆を見抜くでしょうし、「結果的に」難関大学に行ける人がいたというだけで、ピアノを習わなくても難関大学に受かる人もいますし、私のようにピアノを習っていてもそのランクの大学に受からなかった人間もいます。人生いろいろです。でも、私の人生を振り返ってみて習って「損」な部分はお金と時間を浪費してしまって、親がつぎ込んでくれたそのお金をリターンできなかったことくらいでしょうか。