piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

KDDIプレゼンツ「つながる心つながる力みんなでつくる復興コンサート2017」に行ってきました。その2

みなさんこんばんは、Piantinaです。
「つながる力つながる心みんなでつくる復興コンサート2017」に行ってきた話の続きです。

 

定禅寺通りをぶらぶら歩いて、さらにアーケードの商店街を歩いて、歩きながらお店をいろいろと見ている間に仙台の駅についてしまいました。案外近かったのですね。
で、いよいよきょうの目的地である東北大学川内キャンパス川内萩ホールにはどうやって行ったらいいのかといろいろ調べてみました。

 

 

大都市だと駅でスマホWi-Fiが入るのですね。
これも驚きでした。でも、そういうところもいろいろと含めて、私の周りで「仙台に住んでいたことがある」という人が口をそろえて「仙台はいい街だ」と言っていた理由がわかりました。雪でもあるかと思って靴も歩きやすいものを選んでみましたが、杞憂でしたし、なんだか想像以上にその日は暖かい日だったようです。でも本当にこればかりは自分が行って目で見て肌で感じてみないとわからない感覚だったので、貴重な体験でした。

 

 

どうやら「東西線」の「国際センター前」から徒歩5分で着くということで、「ほう」と思って歩き出したのですが、歩いても歩いても「川内萩ホール」というものが見当たらない!もしかして道を間違えた!と思い、もう一度駅に戻りました。どうやら駅から出て右側に歩いていたようですが、左側に歩かなければいけなかったのですね。そうしたら「川内萩ホール」の表示を頼りに歩いていたらつきました。
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東北大学の川内キャンパスの入り口です

 


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図書館側です。

 

 

なんとなくざっとキャンパスを見た印象としては「ああ国立大学だなぁ」と思いました。私自身は都内の私立大学の出身なのでまず敷地として狭いし、建物もわりと洒落た感じの建物が多かったりという感じです。一方国立大学は敷地が広くて、建物もそんなに洒落ていない。けれどもある意味で余計な感じがしない感じです。学生さんの感じも真面目そうな感じがします(あくまで私の勝手なイメージです)。

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川内萩ホールの入り口です。


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川内萩ホールです。

 

時間があるので、図書館に行ってみました。
まぁそこの学生でもないので中には入れませんでしたが、入り口横に喫茶スペースがあり、そこが開きそうだったので、本を読みながら待っていました。f:id:mayflower81:20170311135034j:image

 

開いたので、お昼を食べることにしました。
ここは大斎ということを守って、ホットドッグは辞めました(肉だから)。
マフィンとスコーン。なんだかお昼よりも「お茶」感にあふれていますが仕方がありません。
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一応お昼(?)も済ましたので、また元の川内萩ホールの前まで戻りました。
まだまだ開場まで時間があり、そして、横のカフェの前にいたのですが、あんまりにも人が多いので外で待っていました。まぁ天気もいいですし、ぼんやりしていました。

 

で、「こんなコンサートに行ってきました」的な写真を撮りました。
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こういうのも。
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時間になり、会場に入ることができました。いつもコンサートで顔を合わすリスナーさん、久しぶりに会うリスナーさん、そしてはじめましてのリスナーさんにも出会うことができました。行く前や行く直前は正直「自分が行っていいものか」とためらうきもちもありましたが、やっぱりそういう交流があるというのもコンサートに行く楽しみでもあるように思います。

 

 

今回のコンサートはゲストは新妻聖子さん、指揮者は石川星太郎さん(誕生日だけは一緒w)演奏は仙台フィルハーモニー管弦楽団の皆さまでした。
最初はJ.S.バッハ作曲の「G線上のアリア」が献奏され、演奏後には拍手ではなく1分間の黙祷をささげました。そのあとにはヴェルディの「運命の力」序曲でした。まさに人間の力で変えられようのない「運命」に立ち向かうかのような曲でした。震災が起きた事も私たちの力で避けられないものではありませんでした。だけどもそこに「立ち向かっていかないと」いけないと思う曲でもありました。

 

 

そして、新妻聖子さん登場。「Man Of La Mancha(ラ・マンチャの男)」でした。これまで私は新妻聖子さんの歌声を生で聴いたことがなく、初めて聴いたのですが、パワフルで伸びのある歌声。もちろんテクニックもあって素晴らしいなぁと思ったのです。オリジナルの「この祈り(The Prayer)」ではまさに「入魂!」という感じでしたし、「遊びで」歌ったのがきっかけとなった「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」も十分にクラシックで通用する感じを受けました。そして復興コンサートで欠かせない歌となった「わせねでや」。宮城県仙台南高等学校音楽部合唱団とのコラボレーションでした。東北、仙台にルーツがある新妻さんならではな気持ちのこもった歌唱でした。

 

 

第二部では石川星太郎さんの指揮で仙台フィルによるドヴォルザーク作曲の「交響曲第8番」。チェコの「土臭さ」と「郷愁感」や「哀愁」を漂わせつつも温かみがあり、「前に進む」感じが表れている選曲ではないかと思いました。この曲はなぜか子どもの頃に聞いたことがあり、正確なタイトルが分からなかったのですが、やっとわかりました。なるほどな~と思っていたら終わってしまいました。

 

 

アンコールはもちろん、エルガー作曲の「威風堂々」。再び宮城県仙台南高等学校音楽部合唱団の高校生たちと新妻聖子さんが登場し、会場が一体となって声を合わせて合唱しました。

 

 

その後「一応」アフターパーティの予約もしていたので、アフターパーティの会場へと向かおうと思いましたが、これがまた場所が「??」となり、「一体ドコだ?」と道に迷い、さらに歩いているうちに防寒のためにインナーに貼ったカイロがもう暑くて暑くて喉が渇いてしまいました。

 

 

アフターパーティの会場はなんとかわかり、「ここかな?」というところに入ったらすでに来ている人もいて、準備も始まるような感じでした。
料理もたくさん出てきて、さらにOTTAVAGMこと斎藤茂さんも仙台フィルの方たち、石川星太郎さんも来たところでそろそろ駅に向かわないといけない時間になりました。後ろ髪を引かれる気持ちで家まで帰りました。

 

 

…来年はまだまだ「行く」とは限りませんが、
「行く」となったらもしかしたら今度は日帰りでも行けるので行くことにしようと思います。

 

 

さて、きょうは3月11日。
6年前の今日、生きたくても津波地震、そしてそれにかかわることによって命を落とされた方々、住むところを離れざるを得亡くなった方々、行方不明者の捜索に携わる方、故郷の復興に力を尽くしている方々にどうか神様の導きとみ守りと慰めがありますように。

KDDIプレゼンツ「つながる心つながる力みんなでつくる復興コンサート2017」に行ってきました。

みなさんこんばんは、Piantinaです。
3月最初の記事の投稿が遅くなってしまって申し訳ありません。
くしくもきょうは3月11日、東日本大震災から6年です。

 

3月3日 世界祈祷日

まず、この仙台で2012年以降毎年続いている「つながる力つながる心みんなでつくる復興コンサート(以下復興コンサート)2017」に行く前に「世界祈祷日」がありました、これは毎年、NCCという組織に属している教会で集まって、だいたい持ち回りで女性たちが世界のある1国の女性たちを覚えて祈る日であります。今年は「フィリピン」でした。

 

 

フィリピンには実は行ったことがあります。
マニラではないのですが、セブ島に行ったことがありました。
5年くらい前のことですが、子どもがたくさんいて、貧しい人たちと中間層、裕福な人たちと社会階層が分かれているなというのがわかりました。ショッピングセンターにいる制服と思しき女子高生たちなんかはおそらく中間層とか富裕層の女の子たちでしょう。でも街には「強い風でも吹いたら壊れるんでないか?」と思ってしまうほどの家に住んでいる人たちもいました。

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出たお菓子を撮ってみました。

 

 

 それからすぐに高速バスに飛び乗り、仙台へ。
仙台に行く前に東京へ向かうわけですが、まぁ道はわりと順調に進んでいたと思います。むしろ若干早いくらいだったのではないかと思うくらいでしたが、それでも何があるかわかりません。仙台で道に迷う時間とかいろいろ含めて考えて、まっすぐ向かうことにしました。だけども新幹線代はケチりたいので「やまびこ」で行きました。

 



ほぼ各駅停車でしたので、ゆっくり景色を眺めることができました。
まぁ大宮、宇都宮あたりは「ああ関東だなぁ」という感じでしたが、やはりそこを越えるとだんだん「東北」になっていくのだなと思いました。でも6年近くの時間が経って、車窓から見る東北の町は一見「日常」になってきているなと思いました。

 

 

 

ぼんやりしながら、そしてあれこれツイッターなどでフォロワーさんといろいろ話をしていたらあっという間に「次は仙台」とアナウンスが入りました。あわてて漢方薬を飲み、出られるように支度をしていました。夫は仕事でなんども被災地を訪れていますし、何度も仙台に行ったことがありますが、私は一度もありません。降りたらきっと右も左もわからないだろうという感じです。

 

 

仙台に降り立った

仙台駅に降りました。まず、出口と、泊まる予定のホテルの位置を確認なければなりません。住所を確認し、さらに地下鉄の駅の最寄り駅を確認していました。
でも「行ったことのない街にたった一人で行く」というのもひとつの経験。
そう、いつまでも「誰かに連れてってもらう」ではいけないのです。

 

 

ホテルの最寄り駅に降りたころにはもうすっかり夜のとばりが降りていて暗かったのです。が、ホテルの近くにはアーケードの商店街があり、百貨店があり、結構繁華街のなかにあったのですが、人通りがあり、若い子がたくさんいるなぁと思いました。いつも住んでいるところが田舎で年寄りが多かったりしているので余計に感じるのかもしれません。さすがは東北最大の都市だけあります。

 

 

 

泊まったホテルは1月に前泊したホテルよりは安いのですが、シングル部屋でも広く感じました。だけどもその分洗面所やトイレ、バスの広さは犠牲になったのかギリギリの広さでした。まぁ一人ですからいいですが、さすがに…と思ってお風呂は大浴場にすぐに入りました。時間が迫っていたのか(男女で入れる時間が違う)、誰ともかぶらず悠々と一人で大浴場を満喫しました。首までお風呂に浸かれる!これがあるとないとではやっぱり違います。

 

 

 

3月4日 いよいよコンサート当日

3月4日、コンサート当日になりました。
午後からのスタートなので、ゆっくり朝は過ごして、それこそまた爪楊枝鍼とペットボトル温灸をしていましたが、どうやらホテルの目と鼻の先の距離に自分の教派の教会があったので朝の礼拝でもやってないかと思い、慌てて最低限の恰好をして行ってみたのですが、残念ながらやっておらず、外から写真を撮るだけ。

 

 

でもごく個人的なことで、しかもプライベートで来ておきながら「いついつの朝の礼拝に出たいです」とあらかじめ連絡するとそれはそれでなんだか気を使われそうな気がしてそれは嫌だったので、何もしないでいました。

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仕方がないので、朝ごはん(無料)を食べて、チェックアウト時間ぎりぎりまでいることにしようと思って、アイメイクまでしていました。そうしてのんびりしていました(続く)。

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 この写真は後々定禅寺通りから撮りました。東京エレクトロンホールも通りの反対側でした。
隣の白い建物は結婚式場で、この日も定禅寺通りをバックに結婚式のカップルが記念写真を撮っていました。

2月が終わってしまう。

みなさんこんばんは、Piantinaです。
そういえば、今日は2月28日。今年はうるう年ではありませんので、今日が2月最後の日です。今年ももう6分の1が終わろうとしています(と思うと早い!)。

 

 


明日、3月1日はいよいよ「レント」「大斎」の始まりの日、「灰の水曜日」です。まぁところによるのですが、おでこに昨年の「棕櫚の主日イースターの前週の主日で使う棕櫚の葉っぱで作った十字架)の十字架」を燃やして灰にしたものを描くところとそうでないところといろいろあるようです。

 

 

ですので、今日はカーニヴァルの最終日でもあります。
灰の水曜日以降は「節制と克己の40日間(日曜日除く)」ですからね。
厳しく伝統を守るような教派だと、この40日間、病気の人、高齢者、子どもをのぞく「健康な成人」は一切の肉類を断ち、聖書を1日1章読むとか、お祈りを増やすとかしているのです。よく近頃ではもう「春のお祭り・イースター」と言われていますが、華やかなイースターのその前には荒野でキリストが断食をしたように自らを律して、節制に励む厳しさがあるのです。

 

 

昔昔は「キリスト教の洗礼を受ける」というと復活日(イースター)しかありませんでした。私自身も実は「復活節中」に洗礼を受けたのですが、今でこそ「タイミングが良かったら」という感じになりましたが、復活日、もしくは復活徹夜祭(イースター・ヴィジル)に洗礼を受けるのが通例だったそうです。だからその準備の40日間という意味も持っています。

 

 

まぁ某ランドとかは教会の暦に関係なく春はイースターで、という感じで、なんだか近頃では教会とも関係ないところでイースターにはゆで卵!みたいな流れになってきて、「ああ、なんか日本人ってやっぱり表面だけを切り取って楽しむだけなんだな」という感じです。

 

 

先日、「女優さんが突如仕事や所属事務所を辞めてしまった。理由は”出家したいから”らしい」ということで大きな話題になりました。もともとその彼女はご両親もそこの宗教団体の信者で、女優の彼女は「2代目」の信者だった。あちこちで「宗教に走るなんて」というような意見だとか「仕事を投げ出すなんて無責任だ」という声が上がっていました。

 

 

でも、私なんかは結構親、祖父母、曽祖父母、あたりの代から「家の宗教」的に教会の信者として教会の通っている人をたくさん見かけますし、むしろ私のように家で誰も信じていなくて、自分が1代目というキリスト教徒は逆に珍しいんじゃないかというくらいです。そういう家に育った子弟が思うところがあって「聖職者になる」とか「修道院に入る」というような流れなのではないか、と思います。

 

 

聖職者を目指すことは悪いことではありませんし、宗教に帰依(キリスト教では”帰依”とは言いませんが、近いところで”献身””堅信”なのでしょう)していく人を世間が止める必要はないのではと思います。彼女には「身を投じるほどの」気持ちがあり、それを世間が「無責任」だのなんだの言って止めるのは「無粋」じゃないかと思うのです。

 

 

お葬式も2件立て続けにあって、バタバタしているあいだに28日が終わってしまった2月。いよいよ3月です。3日には初めて仙台に行きますし、4日には初めて「OTTAVAの復興コンサート」を聴きに行きます。ずっと先、と思っていたらもうこんなに近いのですね。それでは。

5本指のハイソックス靴下とラムウール&アンゴラ靴下

みなさんこんにちは、Piantinaです。眠気覚ましにお題「くつ下」というお題で記事を書いてみようと思います。

 

 

去年の6月、「やっていても合理的じゃない」と思って辞めてしまった冷えとり健康法。この健康法の軸になっているのが「長時間の半身浴」と「靴下の重ね履き」です。それも単に靴下を重ねて履けばいいのかというと、絹5本指、綿5本指、絹先丸、綿先丸……と重ねていくわけですが、結構これを1枚1枚重ねていくのもなんだか履くのに時間がかかるのも面倒ですし、洗濯も大変。一時期ドライクリーニング用の洗剤を倍くらい使っていたと思います。

 

 

まぁとはいえ、冷えとりをベースにいろいろ東洋医学に興味をもってあれこれ調べてみたりすると、どうも絹やら綿にこだわらずとも、足はふくらはぎを温めたほうがいいとかあって、今ではシルクコットンのハイソックスに、先日買ったクイーンウールのロングレッグウォーマーとセットになるカバー靴下です。

 

 

 

まぁそれでも結構重ねているわけですが、なんというか「毒が出てなんとやら」というのはなく、身体の気(気力、とか元気の気、だそうです)と血(血液)、水(水分)も巡りを良くするのが目的なので、「毒を出す」ところにゴールが置かれているわけではないそうです。

 

 

さらに寒いときや、オルガンを弾いたり寒い中家事をしたり動いたりするときは、このシーズンはこのラムウール&アンゴラ靴下が大活躍でした。黒いところはシルクコットンのハイソックスです。リードオルガンを弾くのにいちいちシューズを履くのも大げさですし、別に足鍵盤があるオルガンでも演奏不可能ではないとは思いますが、ペダルの奏法に「靴を使った」奏法もないわけじゃないので、靴下だとちょっと踏みずらいかもしれませんが。ただ、教会に空調設備がないところで弾いたりするのには、この靴下だと冷えないんですね。

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mayflower81.hatenablog.com

 写真のはまだ届いてからすぐの毛玉が少ないときに撮ったものですが、今は毛玉だらけです。そろそろ暖かくなってきたし、洗濯したほうがいいかな?とも思い始めてきました。ロングレッグウォーマーも洗い替えを買えばよかったと絶賛後悔中です…。でも服に合わせやすいチャコールグレーは売り切れで、ブラウンがあるようですが。

 

 

まぁもう何枚も何枚も重ねて履いて、破けたら「毒出しだ!」というののおかしさにも気づいてしまいましたし、ただ単に「5本指靴下はやめられない」というところで結局履き続けているという感じでしょうか。

本は読んだものの・・・現実を暴露します。

みなさんこんばんは、Piantinaです。
近頃、悩んでいること(といっても前からだけど)のひとつに、
「夫が私の趣味や大切にしていることをことごとくけなす、暴言を吐く」ということです。

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こんなにイケメンではないですが(失礼)。素材のモデルさんです。

 

 

まぁこのブログを前々からお読みの方は私が音楽そのもの、聴くのも演奏するのも好きで、クラシックや教会音楽、古楽が好きなのはご存知ではと思っております。そして、教会でオルガンも弾いています。

 

 

これは何年か前ですが、朝BSの放送でクラシックの演奏会を放送する番組があって、結構女性演奏家さんとか衣装とか参考にしたくて、また、いろんな演奏家さんの実際の映像を見るのが非常に勉強になるからと、一応寝ている夫に気を使って音量を小さくして見ていましたが、ある時、「クラシック音楽は権威的で嫌いだ!」とか「クラシックの演奏家を紹介するのになんで何かのコンクールで賞を取ったとかどうでもいいことばかり紹介するんだ!自慢じゃねぇんだ!」とか、悪態をつくようになりました。しまいには「不愉快だ!見たくない!」となり、結局その番組は見なくなりました。

 

演奏家のプロフィールに学歴やコンクール受賞歴などが書いてあるのは、「次の仕事につなげるため、プロモーションや就職活動のため」なんだそうです。ある演奏家さんに教えてもらいました。クラシックの演奏家だと芸能事務所などに所属していませんし、個人で活動されている人も多いですからね。

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ほかにも「クラシックのコンサートは嫌いだ!」というのもあります。
これはなぜなのかというと彼の好きなアイドルのライヴと違って「客席に座ったまま」を強制させるのが嫌いなんだそうです。
でもあるツイートがありました。

 そう!アイドルのファンってたしかにTシャツ着てる。そのアイドルの。
光る棒もありますねー。ヲタ芸もありますし、曲中に「ジャージャー」だのなんだの言ってますね。しかもスタンディング。まぁこれは別にいいですけど。OTTAVAのコンサートとか行っても別にOTTAVAグッズ持ってなくても(私なんかバッグ持ってないですよ!ハンカチとかステッカーはありますが)別に排除されません。光る棒を振り回すこともなければ(作ります?)せいぜい言うのは「Bravo!Brava!」くらいなものです。それも最後にね。めちゃくちゃこれ言うのはタイミング見計らわないといけないですが。

 

 

その他には、音楽全般をDisることもあります。
どうやら彼にとっては音楽は「その場の空間を支配するもの」で「逃れようがないもの」なんだそうです。そりゃそうです。それが嫌なんだそうです。だけども、礼拝に音楽あるじゃないですか?歌だって歌うじゃないですか?まぁ歌も音楽もない礼拝もやってもいいですが、それはそれでどうでしょうね?カルヴァンは音楽嫌いで改革派は一時期音楽のない礼拝を捧げていたそうですが…でも、なんだか「それってさ、礼拝学で学んでこなかったのかい?」としか思えません。音楽の発展に教会は欠かせなかったわけで。ところによってはバンドが賛美したりするのくらい、私でも知ってます。

 

 

なんでしょうね、結局こうもいろいろあると「夫はもしかしたら私をもう愛していなくてただのオルガンを弾く家政婦」くらいにしか認識していないかと思います。これはもうしょうがないですね。人の趣味をけなすわりに、情緒的なコミュニケーションは何にもできないのですから。まぁもう期待も何もしなくなってしまいましたが。

『夫がアスペルガーと思ったとき妻が読む本―誰にもわかってもらえない”カサンドラ症候群”から抜け出す方法―』を読んだ。

みなさんこんにちは、Piantinaです。
謝礼をいただいたので、少しはOTTAVAクラウドファンディングに(やっぱり音楽で得たものは音楽に返したいと思いまして)、あとは本を買い、シルクふぁみりぃさんでまたしてもたくさん買ってしまって…。

 

 

Amazonで注文した本の中にはこの本も買うことにしました。
実はこの本、リアルの書店で見たことがあって、「買おうかな」と迷ったものの、「やっぱいいや」であきらめたものの、何かでAmazonを見てて、たまたまこの本のレビューを見たらすごく高評価。「ええっ?!買っておけばよかった……」と後悔して、いただいた謝礼で思い切って買うことにしました。

 

 

以前からいろいろと「アスペルガーのパートナー側」に向けて書かれた本というのはいくつも読んでいますが、だいたいが英米(?)の著者なので、若干「日本ならでは」の感覚がなかったなぁと思いつついました。逆に私はクリスチャンでもあるので海外の著者の「アスペルガーと信仰」的なところの部分は「ほほう!なるほど!」と思う部分もありましたがね。聖書ヲタクのAS男性とか、信仰熱心のクリスチャンのASとかは。

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著者の宮尾益知氏はよく発達障害関係の著書の翻訳などもされており、この本は心理士の滝口のぞみ氏との共著という形になっています。

 

そもそもは「子どもの発達障害」から始まった

本を読んでみると、「アスペルガー×カサンドラ」の夫婦の話からなのかと思いきや、最初は「神経発達症」の子どもの育児の問題から始まって、子どもの当事者とお母さんのカウンセリングや治療をしているうちに、母子家庭でもないのに「お父さん」のエピソードが出てこないところから始まったようです。

 治療について私たちが心がけたのは、まず子どもを良くすることでした。保護者には子どもが良くなってからアプローチするのだと決めていたのです。子どもが良くなれば、母も自分自身を見る余裕ができます。(略)
そこで気がついたのは、まるでシングルマザーのように、母から父の話が全く出てこないことでした。彼女たちにいろいろ聞いていくと、父はとても忙しく、休みの日に子どもたちを公園に連れて行ってくれるという話でしたが、父が登場するのはそのようなときだけでした(6ページ)

また、

話を聞いていたお母さんたちの中には、うつのお母さんもたくさんいました。
子どものことを離れて夫婦のことに話を移していくと、父(夫)が自分のことをわかってくれない、セクハラ、パワハラ、DV等の話と、子どもを理解することができず、子どもに対する虐待まがいの話まで聞こえてきました。(6~7ページ)

ともあったのです。つまりは「子どもを見ていたら、どうもお母さんの話ばかり、お父さんはとなったらなんだかこれは大変そうだぞ」ということだったようです。そこで、宮尾氏はアストンの「カサンドラ症候群」と出会うことになったそうです。

 

 

世間やメディアからの「結婚する前にわからなかったの?」「女性の自己責任」という冷たいバッシング

この本には発達障害の子どもとその親との「家族単位」でのカウンセリングや治療での話から、「なぜ結婚に至ったか」 「新婚生活、妊娠時に傷ついたこと、子どもを持って変化したこと」「子どもが学童期になった時の困りごと」「お金に関する葛藤」というごくごく家庭で起こりうる問題や、実際のトラブルなどについてきめ細かに書かれています。

 

 

でも、本当に「結婚する前にそういう人だってわからなかったの?」とか「あなたの自己責任」とかは言われます。人に直接言われるというよりは、「カサンドラ症候群」がメディアに登場すると、テレビに登壇している芸能人の方の何気ない発言ですとか、その番組を観ているネットユーザーなどのツイートを追うと「むしろ発達障害当事者側からは迷惑!」「発達障害者は結婚しちゃダメなんですね」と言われたりして「心無いなぁ!」「ホント、信じてもらえないよ!」ともう乾いた笑いが出てきそうになります。

 

 

読み進めると「あ!これはある」と思うところと、我が家は子どもがいないので、子育てに関してはちょっと予定もないし、あまり関係ないかな…と思うところもありました。お金に関しては……借金作るほど浪費家どころか「ケチ」です。しょっちゅうコンセント抜いたりして(地味に困る)。

  

「子どもはいらない!」のならせめてはっきり言ってほしかった

読んでいて、「本気で子どもはいらないと言うASの夫」という項目がありました。
我が家には子どもはいません。子どもを持つ予定もありません。それどころか「子どもを持つための何か」もしていません。不妊治療とか。タイミング?とか。でも、「はっきり”子どもは欲しくない!”という人がいるんだなぁ」と思いました。

 

 

我が家は夫はASですが、子どもに関しては話をするとはぐらかされるか、話を変えられるか、その話は無視されるか、「自分の子どもを持つこと」にはあまり触れてくれませんでした。ただ、赤裸々な表現ですが、夜の生活もありません。でも、何も言わずにいるのならむしろあえてハッキリ「俺は子どもはいらない」と言ってほしかった。というのが私の本音です。

 

 

そうはっきり言ってくれれば、一時的には傷ついてすごく落ち込んだかもしれませんが、もっと早く「子どもを持つこと」を潔く諦められたと思っています。そこは「そういう本音を言ってPiantinaを傷つけたくない」という妙なやさしさなのかもしれませんが、30代の前半をなんだか悩むことばかりに費やしてしまった感があります。私の時間を返してくれ!と思いたいですが、時はすでに遅し。それに、もう私のほうが諦めてしまいました。

 

 

”信じてもらえない”カサンドラが希望をもって次に進むための本―「愛してしまおう」とはこういうことだったのか!―

私はこの本の凄く評価したいところはよく相談などにある「もう別れちゃいなさい」「離婚しなさい」「別居すれば?」という答えでもないところです。それと「苦しい、つらい、と思っていてもあなたはどこかで彼を愛しているのでは?それならば、コミュニケーションをわかりやすくして”修復”をはかることができるのでは?」というところです。つまり「別れ」が必ずしも「100点満点の答え」ではないよ、ということを提示しているところです。

 

 

もちろん、別居して自分を取り戻した人も私は存じ上げていますし、離婚された方も知っています。でも別居も離婚もどちらもサポートや経済力がないとできませんし、離婚に至っては結婚以上のエネルギーが必要とされるともいわれています。それに私の場合は教会の人間なので、やはり聖婚式式文にある「神が合わされたものは、人は離してはならない」という最後の宣言がひっかかるのです。つまり、神様が合わせた2人は、第三者が入って引き離す(つまり不倫)ことも、自分たちで対立しあった結果「離別する」となってもいけないことなのです。

 

 

近年では離婚に一番厳しいとされるカトリックでも離婚はタブー視されなくなったそうです。だけども、緑の紙を取りに行こうなんて思うときにふと「あんなに大勢の前で誓ったことを無下にするのかい?」とも思うのです。そこに結婚式をする意義があるのではないかと思うのです。お金はかける必要はありません。たくさん人を呼ぶ必要もありません。でも、そういう「つなぎとめる何か」に「結婚式の思い出」や「子ども」があるのかもしれません。

 

 

あるカサンドラ本には「(特性を)愛してしまいましょう」とありました。
「愛するためのヒント」が、ここに書かれています。

稼ぐ額よりも、いかに家族に感謝され信頼されているかが主婦の勝負所。

みなさんこんばんは、昨晩こんな記事を見つけました。

news.careerconnection.jp

別に学歴を自慢したいわけじゃないですが(自慢にもならないからw)、都内の有名な私立大学を出ています。名前を言えば「あああの大学ね!」と言ってもらえるような大学を卒業しています。卒業はできましたが就職にあまり恵まれず、しかも資格も持っていなかったのでずっと非正規、非正規でさらにメンタルも病んで、一歩間違えれば実家には住んでいるけれど貧困女性まっしぐらというところでした。とりあえず、教会に通うクリスチャンでよかった。とりあえず、学生時代に礼拝でオルガンを弾くという経験をしておいてよかった。

 

 

結婚後に仕事を辞めたのは、よくある理由で「夫に転勤の辞令が出たから」。
通える距離にもなく、実家に平日居ながら土日だけ夫と過ごすという生活をしてもよかったのかもしれませんが、そこまでしてしがみつく仕事ではなかったからというのもあります。続けていればよかったかなとも思いますが、やはり夫の職業上、「世間体が悪い」のです。妻があまり外に出ている、という状況は。

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だけども、私のように転勤で、という理由もあれば、出産子育てが理由で、という人もいますし、介護が理由という人もいます。だけどもそもそも現代日本で「名の通った大学(国立私学問わず)を卒業するのが就職のためのパスポートなのか?」という問題もあります。そもそも大学というのは「学問をするための機関、学術研究のための機関」と私は認識しています。

 

 

それに、「女子ながら」の理由もあります。
「将来の結婚相手に出会う場」でもあります。私の周りで30歳前に結婚した人たちは学生時代に出会っていたり、学生時代から付き合っていた人たちでした。30歳くらいになってくると職場などでの出会いになりますが、「子どもを持つこと、子育ても考えて」ということを視野に置いているのならば、学生時代に出会っておくのが一番だと思います。

 

 

なぜならって?
社会人になると圧倒的に出会いが「ない」。学生時代の方がよっぽどあります。
周りの人はだいたい結婚していて子どもがいる。
そういう状況なのです。若い人でも独身かと思ったら「婚約中、近々結婚します」という人だったりしますしね。

 

 

それにだんだん社会人になってくるとどうしても「利害関係」だとか「この人と結婚して何が得られるんだろう」とかあれこれいろいろ考えたら逆にどんどん縁遠くなっていくのです。その点、学生時代のうちだと曇りのない目で相手を見ることができますし、利害関係のない友達関係からだったりすると「この人がどういう人か」がわかって結婚できるのです。

 

 

あと、私の場合は学校を出てから何年も経って夫と出会いましたが、夫の上司(というと変かも?でも人事を決めることはできるし)に当たる方に近々結婚する意思があるという報告をしに行ったときに言われたのは「この仕事の奥さんとなられた人で独身時代の仕事を続けられた人はほぼいない」と言われました。今となってはわかります。転勤もありますし、どこか「外にしょっちゅうでかけているのを嫌がられる」ところがありますし、「できてパートしかできない」という感じです。

 

 

でも、果たして「時給800円」でもたとえば家族のために家事と仕事を両立させていたり、家族に喜ばれている、お母さん(奥さん)のおかげでほかの家族が安心できる、のならパートでもらう時給以上のことをその主婦はしていると思うのです。むしろ億の単位でおかねをあちこっち動かしているだけの人のほうがどれだけ「人に感謝されている」のでしょうか?

 

 

話は変わります。
今朝twitterを見たらこんなツイートがRTで回ってきました。

う~ん、たしかに一見「それって趣味って言えるものなの?」な女性はたくさんいます。
着るものだったり、料理だったり、裁縫かもしれない。メイクとか。実用につながってしまってるというか。
私はたまたま幼いころから音楽に接していて、結局聴くのも弾くのも歌うのも見に行くのも好きという人間なので、お金と相談しながらインターネットラジオ局OTTAVAの支援をしたり、コンサートやクラウドファンディングのCDを購入したりしています。

 

 

でも夫は私から音楽を取り上げたら「寝込むほど病むか死んでしまう」と思っているので、そこは取り上げないでいてくれています。まぁいちいちクラシック音楽をDisったり、音楽そのものdisったり、なんだかもう「あなたはこんなにも言葉で人のことを傷つけて楽しいのか?」と。

 

 

で、本人にまったく「罪悪感」というのもありません。まったく妻を何だと思ってるんでしょうね?傷つけていい何か、何言ってもいい存在なんでしょうね。そこに愛なんてないと思います(ちょっとこの話はまた別の話で書きます)。暴力はなくとも暴言はひどいです。どこぞの国の大統領閣下の暴言なんかよりもひどいです。

 

 

で、とにかく。まぁ毎日クラシック音楽インターネットラジオは聴いていますし(かけっぱなしというか)、まぁ弾くほうはどうしても住宅事情があってなかなか弾けないでいますが、たまに様子を見て練習をしたりしています。それにやはり和声を勉強して大分「譜面を見て、読んで」弾くようになっているので、指のほうは恒常的に動かしているから大丈夫と先生に言われるくらいなのでその辺はいいかと。

 

 

でも、姉も趣味がありますし、母もどうだったかというと、それこそ姉と私が幼い時代は「ワンオペ育児」でしたが、私が小学校に入り、姉が中学に入り出したら仕事を始めました。もちろん結婚前にしていた仕事ではありませんが、職場を見つけて、です。私が中学受験でいったんその職場は辞めましたが、私が地元の中学に入ったらまた別の仕事を始めて、職場で友達を作り、食事、テニス、ときには旅行に行っていました。そのころ姉は大学生、私は中学~高校生。まぁ「指示書」が書いてあればそのとおりにできる年頃です。

 

 

母がさらに私をして「達人」と言わしめるのは「家でもできる趣味がある」こと。
常にラジオかテレビがかかっていたのですが、バッグやバレエのトゥシューズ入れ、いろんなものを作っていましあたし、結構レベルも高かったです。洋裁学校に通っていたというのもありますが。子どもの時には服も(!)作ってくれましたよ。ミシンがあって。編み物、刺繍、ビーズアクセサリー作りという趣味まで持っているのです。

 

 

それを「無趣味」と片付けられますか?と私は言いたいです。
なんだかこう、「普通の主婦」をどんどん肩身を狭くさせてなにが楽しいのだろうな…と思った話でした。さっきの話と無理やりつなげれば、「教育年数が長く、教養があるということは”趣味を持ちやすい”のではないか」とも思うのです。

 

 

つまり、家の中で料理のレシピを研究したり、学習経験が家事能力がなくても「調べる」癖がついていますから、やり方がわからなくても調べて解決したり、時給800円のパート生活でもどうにか生活が回るように工夫してみたりということができる「ポテンシャル」ももっているのではないかと思うのです。