piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

木根さん、あなたはちっともしくじってなんかいない

みなさんこんにちは、Piantinaです。
今週はいつも聴いているクラシック専門のインターネットラジオ局・OTTAVAの「第3の開局」ともいうべく、大規模な番組改変が行われ、世界初のハイレゾ配信を行っているPrimeSeatとのコラボレーション番組になり、ハイレゾ配信の番組も近々スタートするとのことで、なんだかベッ○ーさんの不倫問題とかス○ップメンバーの独立、解散の話とかよりも私の中では大事でした。番組開始時間が1時間変わるとなると朝の家事を終えるのも1時間早くなければいけないのですが、なかなか午前中の番組開始には間に合わず、いつも始まったばかりのところは掃除機をかけていたりするありさまでした。

 

 

でも、私自身としては「これまでどおり」を決して望んでいたわけでもなく、むしろ高音質でクラシック音楽を「気楽に」聴けるのなら、それはそれでいいことだと思っていました。通信費はかかりますが、番組を聴くのは無料ですし、今の私のように「都内で行われるコンサートに行くのに交通費がかかり、時間がかかる」ような土地に住んでいる人にとっては、OTTAVAで24時間クラシックをかけてくれるというのは本当にありがたいことだと思います。

 

 

さて、今週、OTTAVAに早速振り回されていた話はここまでにして、「これは書かないとな」ということを書いていこうと思います。
まぁ、私は今はクラシックや古楽が好きなわけですが、音楽を聴き始めた最初から好きだったわけではなくむしろあまり好きではなかったほうです。まぁ「食べず嫌い」に似たようなもので、先入観で「つまんなそう」「退屈」と思い込んでいたのです。でも、案外聴いてみたらこれほど時代、地域でそれぞれに特色を持っているうえに、時代やジャンル(管弦楽、室内楽、オペラ、宗教音楽など)で「こんなにも多様な種類を持った音楽ジャンルはないだろう」と思えるようになりました。それから「もっと聴きたい」という思いでクラシックを聴いているわけですが、そもそも音楽を好きになったきっかけというのはTM NETWORK(およびTMN)を聴いてからだったかと思います。

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「月はピアノに誘われて」のイメージで。

 

わりと最近、「しくじり先生」という番組にTMNのメンバーでもある木根尚登さんが「30年間エレキギターが弾けないのにギターを担当しているとウソをつき続けたしくじり」ということで出演されていたようです(番組は見ていませんが、ネット上で相当話題になっていたので)。

 

 

まぁTMのライブ映像などを見ればわかることでもありますし、CDの中のブックレットを見ればわかることですが、TMNはヴォーカルが宇都宮隆さん、キーボード、シンセサイザー、ピアノは小室哲哉さんで、ギターは木根さんということになります。ほかにも木根さんはアコースティックギターも弾いていますし、ピアノも弾いています。ギターにはサポートメンバーも入っており、有名なサポートメンバーが今やB'zの松本さんでもあります。

 

 

まぁファンの方の中にはそりゃ「だまされた!」という方もいなくはないかと思いますが、長くファンをされている方は「すでにわかっていたことをなぜテレビのバラエティにまで出て話す??」と疑問に思われている方もいました。でも、木根さんはTMNのなかで何も貢献していないかといえばそんなことは全然なく、「CAROL」では小説も書きましたし、トークが必要な番組に出ることになればスポークスマンの役割を果たし(宇都宮さんは喉のケアのために話したがらないし、小室さんは相手が話についていけないため)、時にはマネージャーと間違われることもありました。

 

 

小室さんがダンサブルな曲を担当しているとしたら、しっとりと聞かせるようなロックバラード系は木根さんの担当でした。CDのアルバムの中の曲全部が全部テンションの高いEDMみたいな曲ばっかりでは聴いていて疲れますし、中盤や後半あたりに少し落ち着いた曲があってこそ一つのアルバムであり、コンサートもしかりでした。

 

 

それだけやっていればべつにエレキギターが弾けなくても「十分メンバーの中でTMというユニットに貢献しているのでは?」とも思えてくるのでそれが「しくじり」とは私は決して思わないのです。むしろ小学校からの友達が宇都宮隆さんで、高校時代の小室さんを仲間に入れたのはちっとも「しくじり」どころか「グッジョブ」でしかないように思うのです。

 

 

それに、木根さんご自身も弾けないからということで開き直っているばかりではなく、実はこつこつとギターの練習をされていたようです。見えないところで努力をされていたということです。それにいい曲もいっぱい世に出しているわけですし、十分にそのことは誇ってもいいことなのではないかな、と思ったところです。