piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

そういえば、ピアノを習い続けて30年になるということに気が付いた。

みなさんこんにちは、Piantinaです。
ぼんやりと思っていたことですが、実は今年でピアノを習い続けて30年になるということに気が付きました。

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まぁ、最初は実家の近所の音楽教室に行って、音楽教室に通い始めたのが最初で、それが30年(近く)前なわけです。いわゆる「英才教育」と言われればそうなのかもしれませんが、世に言う「ちょうど始めるのに適した年齢」から始めた感じです。早すぎたわけでも遅すぎたわけでもないかなと思っています。

 

 

まぁ、これで「これだけの年数をかけて習ったのだから、何かコンクールに出るとか職業として形にしていかなければ意味なくない?」と思うと、結局30年かけて私がピアノを習い続けたことは「時間とお金をかけた盛大な無駄遣い」にしかなっていないのかもしれません。もしかしたら何百万、いや何千万の世界だったりして。いちいち計算したくないですが。

 

 

一時期はそれを周りから責められるのがあまりいい気分でもなかったし、それも事実だったので「結果として何も形になっていないから辞めよう」という気持ちになって、教室にも「辞めたい」という話をしても教室側から「せっかく弾けるのにもったいない!月に1回でもいいから続けてほしい」と言われて引き止められてずるずる30年……という感じになってしまいました。

 

 

結婚してからは夫もピアノを続けるのには反対もせず、転勤で通うのに遠くなっても「1日かかるけど通えない距離じゃないし、今まで習ってた先生との関係もあるだろうから続ければ?」と言ってくれているので、本当に感謝しています。次に今の教室に通えないくらいのところに転勤になってしまったらまた考えますが。

 

 

ただ、今となって思うのは「何か形にするには圧倒的に練習時間と中身が足りていなかったな」と思えるようになりました。毎日毎日30分、休みの日は気が済むまで弾いていたという時代はありますが、それでは圧倒的に足りなくて、毎日毎日2~3時間、休みの日は1日中くらい時間を使って、さらに楽典や和声の勉強をしなければ無理だったかなと今では思います。

 

 

だけども、普通科の高校に通って、大学も音楽を専門に学ぶわけでもなかった私にしては「そこまで音楽に時間を費やしたら、自分がやるべき勉強ができない」という状態になっていたでしょうし、現実としてできなかったわけですから、もう過去のことをどうこう言ってもしょうがないかなぁと思います。

 

 

今も気づいてはいながら家事に追われて結局できずじまいで、「主婦になればそういう勉強もできるだろう」と踏んだ私がバカでした。家事=仕事ですから。それに家にいるだけでも「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」ということがすべて重要度の高いものだったりするのです。

 

 

だけども、「結局何物にもなれなかった」ことが今となっては「もしかして苦しむことなく接することができる一生の趣味」のトップにあり続けている大きな要因となっているのではないかと思いました。果たしてピアニストになれていたら?ピアノの先生になっていたら?学校の音楽教師になっていたら?と思うと、時には自分の意向に合わないことも「仕事だから」と嫌々せざるを得なかったでしょうし、それだけでは経済的に生活できなくて結局バイトとかけもちしながら生活していたかもしれないでしょうし、苦しいことのほうが自分の中で勝ってしまって「ほかの仕事のスキルがあればなぁ」と思っていたかもしれません。

 

 

まぁピアノでは「何物にもなれなかった」かもしれませんが、形を変えてオルガンというフィールドで今の自分がある、と言われれば「まぁそうかなぁ」ともいえます。なんだかんだ言ってピアノのほうが演奏人口も多いですから、競争も激しく「ちょっと弾ける」程度では上に上がることはなかなかできません。それに「もともとクラシック好きではなかった」というのも多様化する礼拝音楽についていけているという点では自分の経験が活かせているかなと思います。

 

 

オルガンになるとピアノほどは演奏人口は多くないですし、教会の礼拝で弾くということには「ちょっと弾けるので弾かせてください!」では済まされないこともあります。キリスト教を信じていなければダメだとか、そこの教会の教会員になってなければダメだとか。まぁ教会員や牧師(または神父)の「どこの馬の骨ともわからん自称演奏家にうちの教会の礼拝の奏楽を任せられるか!!」という姿勢が「閉鎖的」と言われれば閉鎖的かもしれませんが、結局礼拝で弾く、礼拝を弾くということは、やはりそこの教会の礼拝に出続けていないとできませんし、聖書も大筋くらいはわかっていないと話になりませんし(細かな一字一句まで覚えていなければならないというわけではないですが)、そこの教会で使われている讃美歌集や聖歌集にどんな曲が載っているかがわからなければ「無理だなぁ」と思います。

 

 

それに街中にある小さな教会で弾くのに、バッハのオルガン曲の大曲が弾けないといけないかといわれればそんな必要はないですし、演奏スキル的に「ピアノでソナチネくらいの曲なら弾けます」くらいでも十分なくらいです。ショパンやらリストの難度の高い曲が弾きこなせる必要はありません。それでも本人が日曜日に礼拝に出続けられるか、教会の「音楽担当」にふさわしくあるように研修会などに出席したりして勉強できるか、そしてきちんと練習ができて礼拝に臨めるかという「姿勢」が大事かと思うのです。

 

 

今となっては「私の代わりがいない!!」というくらい田舎の教会で弾いていますので、全部の日曜日が私の担当ですし、風邪や体調不良で休まれては困るという無言のプレッシャーを感じつつも、そして練習不足の状態で「申し訳ないかも…」と思いつつも弾いているのが現状です。それでもたまにお葬式や結婚式で奏楽のお願いがあって、ちょっとした臨時収入(謝礼)を得ているわけですから、まぁいいといえばいいのかもしれません。