piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

触らぬナントカには…

もう先週の話だから新鮮味がない話になってしまったけれども、とあるテレビ番組を見ていたら「教会の牧師だ」という外国人の方がどこかの空港(成田?)でインタビューされて、その教会の礼拝の様子がテレビで放映されていた。

 

う~ん、まぁほとんどの日本人が「キリスト教の教会」になじみがないので(そもそも日本人の全人口におけるキリスト教徒の割合は1%未満)「教会の牧師さんって金髪碧眼」なイメージを持たれやすい。今の某ドラマに出てくる牧師夫人さんのご主人はイギリス人宣教師?の設定だし。結婚式場の司式者のイメージもあるのだろう(白人さんのほうがなんだか見栄えがするからなんでしょうかね?)。

 

ちなみにその若い外国人の牧師さんたちはラフなTシャツにジーンズといういでたち。うちの教会ではまず牧師といったらまずクラウジーシャツ(カトリックの神父さんとかが着てる襟の詰まったシャツのこと)着用。もちろんその上に祭服(黒キャソックやサープリスにストール、またはアルブキャソックにストール、さらにはチャジブルを着るときも)を着るわけだけど、大きな礼拝なんてときは若手だろうとおじさんだろうとスーツにクラウジーシャツに革靴(祭服以外は)。若くても「○○先生」とか「○○司祭」とか呼ばなくちゃいけない雰囲気をかもし出しているが、一方でテレビの彼らは普通の若いお兄ちゃんでなんだか親しみやすそう。
おもわず「○○さ~ん!」と呼びたくなるような感じ。

 

さて、みて見るとなんだか教会っていっても六本木のライブハウスのようなところで、音楽はロック。さながら雰囲気は人気バンドのコンサート?という感じだ。当然「聖餐式(ミサ)はキリストの死と復活を記念している礼拝なのだからそれなりのカッコ(それでも真夏や真冬はクールビズウォームビズをしてもいいと思うが。古い建物のところが多いんだし…)をして出ないと…」なんて堅苦しいことは一切ナシ。当然若い人が多く、聖書のメッセージも非常に分かりやすく若者に伝えている…と思うと「ああーなるほど、これだから若い人が集まるんだよね…」と思ってしまった。うちの教団はまさにそのVTRの中に対比的に出てきた「いわゆる"教会の牧師と説教"」という映像にほぼ酷似。ところによってはパイプオルガンあるし…。長年信仰生活、教会員生活を続けてきたジジババはともかく刺激がなさ過ぎて若い人が退屈するよねぇ~となってしまう礼拝だ。

 

まぁこれには教会の礼拝音楽の担当者でもあるオルガニストを務める私としても「まぁ、ポップな奏楽曲とかあればまぁそりゃ楽しいかもしれないけどなぁ」と反省しきり。でも、世の中にはバッハやベートーヴェンにも「Rock!」を感じる人だっているかもしれないし。礼拝にいらっしゃる人のほとんどを占める高齢者にとっては「なじみのあるクラシック」のほうが圧倒的に好まれます。しかもデキるオルガニストなんかはその日の聖歌を即興で奏楽で使ってしまうなんてことも。…あら?なんだか堅苦しいどころかなんだかすごいテクニックを聴きにきたみたいじゃない!?なんてこともあるのです。だからメインラインの教会音楽が「ツマラナイ」というのは半分はオルガニストの技量のせい、半分はその人の美意識や感覚と勉強不足。伝統に裏打ちされたカッコよさというのはあったりするんだけどなぁ…。わかってもらえないかしらん。

 

さて、どんな教団なんだろうとあまりに興味を持ってアレコレ検索したり調べてみると、どうも某番組の取材の礼拝というのはあくまでもその教団の「表面的」な一部分に過ぎないことが分かった。深入りして結果として離れた方のブログなども読ませていただいたが、「キリスト教をよく知らない人が深入りすると精神がヤられ(上からの一方的な聖書解釈の押し付けや聖職者が”教祖”になっていて、パワハラなどのハラスメントがある)、お金をむしりとられ(いわゆる「什一献金」というやつです。ところによっては本当に収入の十分の一を納めないといけないと言われる)、ひいては若い人だと就職の幅が狭められてしまう(日曜日は仕事に出ないで教会の奉仕優先!みたいな命令が出る)のでは?」という見方になってしまった。ここで私はそういう教派を批判したり叩いているというつもりはない。もちろん「それでもやっていける!」という人がいれば「どうぞご自由に。でも迷惑はかけないでやってください」という気持ちだ。
だけど、これからクリスマスシーズンだし、とあるカルト系教団なんかはゴスペルコンサートを装って勧誘活動を激化するのだ。どうかこのブログを目にしている方々もぜひ気をつけていただきたい。

 

特に学生~社会人として数年という男性であれ女性であれキャリアを形成したりその後の人生の計画を練ったりよりよい自分への投資(つまり自己研鑽)をするべき時間だと思うのだ。「自己研鑽に聖書を…」となるならそれこそ安心と信頼と実績(日本の近代化・西洋化に多くの面で貢献した、ということで)のあるメインラインの教会(カトリック正教会聖公会ルーテル教会日本基督教団)へ。とくに某掲示板の心と宗教板の「行ってはいけない教会」スレが大きな助けとなるかもしれない。