piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

結婚だって「みんなちがって、みんないい」と思うのです

みなさんこんにちは、Piantinaです。
このところ俳優さんだのお笑い芸人だのあちこちで結婚報道がされて、女性ファンが「仕事休みます」だの言っていたり、記者に聞かれた某政府関係者が「子どもを産んで国家に貢献してくれたら」と言って問題になったりするほど。子どもを一人も産んでない私は国家に何一つ貢献できないダメ人間なんでしょうかと思ってしまいました。まぁ、ダメ人間なんでしょうけど。そのかわりと言ってはなんですが消費税だけはいっぱい(?)払いますのでそこをなんとか……!10%になっても文句を言わずおとなしく払いますから!

 

 

先週の「お題」は「結婚した理由」だったかと思います。
まぁ、芸能人の場合は結婚や出産というのがそのまま仕事と結びついて女優さんだと「お母さん役」で仕事がきたり、子育ての様子などをブログに載せると男性だけでなく読者になる女性ファンが増えてきたりというビジネス的なところが増えてきたりします。また、かつてと違って今は「いかに庶民的であるか」のアピールにもつながってくるだろうから、一般人のそれとはまた違ったようなところもあるかもしれません。

 

 

だけども、人と人とが何がきっかけでも出会って結婚に至るかどうかということで大きいのはやはり「この人と暮らしていけるか?」が一番大きなところじゃないかと思えてきます。中には「相手のスペック(人に自慢できる職業、年収など)と結婚した!」と言う人もいるかもしれません。

 

 

だけども「(仕事の関係などでできないケースもあるが)基本的に一緒に暮らす」のが結婚なのが実感なので、果たしてそれだけでは微妙になってきます。少なくとも私は「夫の職業」とは結婚したつもりはありません(こんなこと言うと怒られるかもしれないけど…)。たとえアスペルガーでも何でも「夫」という「人」と結婚したんだと私は思っています(職業はいつ何時変わってしまう可能性も無きにしも非ずですから)。

 

 

まぁ人間ですから「暮らしているうちに好きになった」とか逆に「好きで好きで一緒になったのに気に入らないところがどんどん出てきた」ということもあるかもしれません。実際は後者のほうが多くなるけれど(実感として)、もしかして何十年と一緒に居ていろんなことを乗り越えてきたらきっとまた気持ちが変わってくるのかもしれません。

 

 

あるネットの記事でいわゆる「ハイスペックな男性」が惹かれる女性の条件みたいなのを書いていた記事があって、大雑把な内容を言ってしまうと高学歴の女性がいちいち総合職ではなく「結婚を見越して」一般職を選ぶことはナンセンス、外見に磨きをかけたり家庭的アピールをしたからといって必ずしもそういう男性が結婚してくれるとは限らない、という内容でした。まぁ確かに間違いではないな、と思いました。

 

 

外見はともかく(!?)料理に関しては今日日クックパッドもありますし、いろんなレシピ本も出回っています。私自身も最初は苦戦や失敗の連続でしたが、4年近く頑張ってみるとだんだん「どこが手を抜いてはダメで、どこで手を抜くか」まで覚えてきます。何も毎日レストラン並みの料理を出さなくとも、簡単でシンプルなもので十分に思います(子どもがいたら成長に合わせないといけないのでそれなりにむずかしいでしょうけど)。

 

 

むしろ知的でステータスが高くモテる男性が「人生の伴侶」として選ぶ女性には「自分と知的レベルが合うか(会話が通じるか)」や「興味を持つものが自分と近いか」というところが判断の決め手になる、ということを言いたかったようです。私の半径数メートルの世界でもだいたい結婚している人たちの出身校の偏差値は大きな開きがないように思います(自分含め)。

 

 

ただ、そういう男性でなくても、ごくごく平均的な感じの人でも「自分と話が合わないな、何かが違うな」と感じてしまう(あくまでも”感じ”です)人とは結婚に至らないことが大きいかなと思います。「そんなん、難しいじゃん!ますます無理!!」と怒ってしまう人がいるかもわかりませんが。

 

 

出会えるときがくれば出会えるでしょうし、決して今の世の中、「結婚し、家庭を持つこと」が人生における幸せではないことだってあります。過去の諸先輩方のご尽力のおかげで高学歴の女性も増えましたし(昔は今の朝ドラではありませんが「女に教養は要らん!」とお父さんに言われてしまえばそれができない時代でした)、かなり色んな職業に就くこともできるようになりました。女性の医者、女性の運転手だっているくらいですから。「結婚する年齢が上がって子どもが生めなくなるから大学なんか行くな!」ではなくむしろ「女性でも大学に行ける」ことに本来ならばもっともっと感謝しなけりゃいけないと思うくらいです。

 

 

別段フェミニズムを信奉しているわけでもなんでもないですがやっとやっと日本の女性の生き方の多様性が認められてきて、「家庭に入って家事と子育てをするのもいいし、自分の信念でバリバリ仕事に生きるのもいいよね」という世の中になってきたというのにまた「女の生き方はこうでなければ!」となってしまってはもったいないと思います。まさに「みんなちがって、みんないい」です。結婚した年齢が若いから、たくさん子どもを産んでいるから偉いというわけでもないし、結婚した年齢が高くても、子どもを持つことができなくても、それはそれでいいじゃん、と思えるかどうかです。

 

 

よくよく「女性の学歴が高くなり仕事を持つようになったから離婚が増えた、子どもを産まない女性が出てきた」という見方をされますが、必ずしもその見方は正しいとは私は思いません。「いろんな事情を持つ人が居る」ということを認める社会の柔軟さがなくなってしまうのが問題だと思うのです。

 

 

もちろん結婚する人たちの数が減り、子どもを産む人数が減る、というのは「国が継続していくか」という観点では問題かもしれません。だけども、もっとベースになる「いろんな生き方があってもいい」土壌があってこその「少子化対策」なのではないかと思うのです。だから「結婚したい人たちは結婚すればいい」と思うのです。「結婚しよう」とお互いに思うことができたのですから。