piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

自分の暴露を含めて電通の女性社員の自殺が過労死認定というニュースに関して思ったこと

みなさんこんばんは、Piantinaです。
近頃、大手広告会社に勤務していた女性社員が自殺し、それが「過労死」と認定したことが話題になり、またその話題に「月残業100時間で自殺するなんて」と言った大学教授の発言が炎上しています。

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www.sankei.com

togetter.com

もう大きな話題になっていますね。

 

もちろん大きな話題になったのはその女性が「電通の社員だった」とか「東大を卒業していた」とか「若い美人だった」というのも話題として大きく扱われているのでしょう。しかし、電通の社員が自殺したという話はこの話だけでなく昔もあったように思います。かつては広告会社というとイメージが良くて人気の職場だったのかもしれませんが、電通といえば私が知っているのは「鬼十訓(だっけ?)」とかなんだか結構体育会系で過酷なイメージがあったように思います。

 

 

まぁわたしのようなはっきり言ってまぁ有名っちゃ有名な大学を一応卒業しているとはいえ、ポケ~ッとしていて気が利かない人間なので(そこでよくよく発達障害疑いをかけられる)まぁそういった大手の会社に受かるわけなんぞないなぁというのはわかっていました。だけども、まぁなんとか仕事を探さなければいけない!ということで慌てて学校を卒業してすぐに働いたところは3か月で実はクビ。ちなみに解雇予告手当も1か月以上前の宣告ではありませんでした。まぁ能力不足でしょう。

 

 

今更それを「不当解雇だ!」と訴えてどうこうしたところでもうその仕事に戻る気もさらさらありませんし、もしかしたら小さい会社なのでもう会社そのものが消滅している可能性も否定できません。ちなみにその当時の社長さんは博報堂出身です(どーでもいいですねw)。

 

 

そのあともなんとか働かねばと仕事を探して、運よくより実家に近いところで仕事が見つかって仕事をしていました。ただし、正規の職員はめちゃくちゃ休みがとりやすいのに反して、非正規の場合はぜんぜん休みが取れないのですね。まぁそれは仕方のないことでもありましたが、「休みがとれない」というのは結構なプレッシャーでした。幸いにして残業を何時間とさせられることはないのですが、疲労は溜まっていく一方、休みは土曜日と日曜日だけ。土曜日はピアノに行って日曜日は教会に通っていれば休みなんてないような感じです。

 

 

でも、あるときふっと「ああ、あのビルから飛び降りれば死ねるな」とか普通に「死ぬこと」を考えている自分がいました。まぁ秋に入ったくらいでしょうか。「死ねたら楽だな」とか。だからといって信仰があるわけですし自殺をすることはキリスト教では一応禁止されています。神様からいただいた命を「自分の手で殺す」わけですから、今ではもしかすると教会で葬儀することはあるかもしれませんが、一昔前ならば教会で葬儀ができない死亡案件でした(本当です)。クリスチャンならば密葬になっていたのでしょう。

 

 

なお、病死や老衰、突然死、不慮の事故は葬儀をすることができます。ようは「神様がお定めになったときに天に召される」というところがポイントです。自殺は自分で自分を殺しているわけですから。不慮の事故は不慮であっても(死に方やケースによってはものすごく苦しいですが)神様がお定めになったタイミングだからOKということです。その点では葬式仏教神道よりも不寛容だな、と思われそうですが、そういう信仰なので仕方がありません。

 

 

まぁ私の場合は美人でもなければ自殺して死んでしまったわけでもないですから(今もこうやって迷惑かけながら生きています!)ましてや大企業の社員でもありませんからどのみち決行してしまっても大きな話題になるわけでもなく年間自殺者の中に数えられて闇に葬られるだけでオシマイ、というところでしょう。まぁその「死」のことで頭がいっぱいになった時点で「これはやばいな」と思ってメンタルクリニックに駆け込んだのが救いだったのかもしれません。

 

 

電通の彼女もせめて産業医とか健康保険組合労働組合などに掛け合ってみれば(大きな企業ですから相談するところいっぱいありそうに思いますが)みずから命を絶つまではなかったかと思うとなんだか切ない気持ちになります。診断書を出してもらって休職の申請をすることくらいはできたのではないかと思うのです。

 

 

まぁこれで「中程度以上のうつ」と診断され、仕事は休むか、辞めるかというところで休職ということもできませんでしたから、そのまま辞めました。まぁ親は激怒でしたね。「キャリアが!!!」とか「これで働けないんじゃ意味がない!!!」とか。こちらはもう「死にたい」と思っていた人に何を言うんだかという感じです。残念ながら私の両親というのはいわゆる「いい時代」に若い時代を過ごしてきたわけで、そういう世知辛さや苦しみを一切味わっていないのです。

 

 

苦労という苦労はせいぜいお金がない、というくらいで今の「貧困」というレベルではありませんでした。いわゆる一億総中流で今の感覚からしたら「たまの贅沢レベルで十分に暮らせる」レベルです。ハッキリ言って団塊の世代の経済の感覚と氷河期世代以下の経済の感覚は全然合わないと私は思っています(親を見る限り)。

 

 

裕福でゴージャスな暮らしぶりをしている人たちもまぁ若い人の中にはいますが、全体から見たらごくわずかでしょう。それも独身だったりDINKSだったりと何かを犠牲にしている状態です。80年代ならば結婚して子供が二人いて奥さんは専業主婦で家も車も持てるくらいの暮らしができるんでは?という生活水準です。

 

 

まぁそんなこんなで年齢の割にキャリアとか実績を積んでいるというわけではないので、「いまさらなーこんな私が労働市場にやってきてもなー即戦力にもならんし…」と自信がないのも「働きたいな~!何か自分にできることがしたい!」と思いつつもなんだかんだで専業主婦いつづける理由なのかもしれません。さすがにそういった実績がなくてやる気と情熱でやっていけるのはせいぜい20代までで、何も積んでない中年が「仕事をしたい」「何かやりたい」なんてやってきても無理でしょう。そんなゆるい世の中じゃありません。まぁせいぜいレジ打ちか掃除かそのレベルでしょう。

 

 

まぁその話題になっている「電通の女性社員の自殺が過労死認定」というニュースで大騒ぎになっているのでそこで思ったこと、そしてちょっと自分の過去を暴露(もう10年たっているので時効?)しつつ思ったことをつらつらと書いてみました。