piantinaの日記

日本のとある教会で弾いてるオルガニストの毒にも薬にもならない戯言

東日本大震災からちょうど5年が経ちました

みなさんこんにちは、Piantinaです。
今日3月11日は、M9.0という未曽有の大地震津波があった東日本大震災からちょうど5年にあたります。各地で追悼行事などが行われ、地震津波で命を落とされた方、また震災による精神的な苦しみからの「震災関連死」で亡くなられた方を覚えて祈る日でもあり、また今一度自分の身の回りの安全や災害時、どう動くべきかなどを考え直したりする日でもあるかと思います。発生時刻の14時46分に黙とうをささげました。

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私が震災の起きたあの日、どうだったかというのは昨年の今日の記事にも書いていますので、とりあえずそちらを見ていただくことにして(リンクを貼っておきます)、津波地震による建物の倒壊という被害もなく、家族や親せき、友人を亡くしたというわけでもないので、狭い意味では「被災者」ではないのですが、電車が全線で不通になり、歩きで家まで帰ったこと、停電で信号機もないところを歩かなくてはならなかったこと、実家のあたりは震災直後停電となって家に帰ったら真っ暗闇だったこと…当然水も出ず、かろうじてガスが使えたくらいでした。忘れようにも忘れられません。日々の便利な暮らしというのは自然災害の前にはあまりにも無力だったことを身をもって知らされました。 

mayflower81.hatenablog.com

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 あれから5年。まだまだ復興の途上、というところはあるでしょう。そしていまだに原発事故も収束していませんし、いまだに「ふるさと」に帰ることができない人たちも大勢いますし、家族がバラバラになってしまった人たちもいます。そして、大きく報道された地域と被害はあったのにまったく報道されなかった地域との差というのもあります。まだまだ道の途中であることは否めませんが、鎮魂オンリーというわけでもなく、どこか「復興に向かって頑張っている人たち」をいろんな形で背中を押してあげることができたらと願っています。

 

 

きのう、たまたまこんな記事を見つけました。

headlines.yahoo.co.jp

15日が卒業式で、今日11日が中学校で食べる給食の最後の日。卒業生の前途を祝して、新たな門出を祝って、ということで「赤飯」に決めたのでしょう。ところが、直前になってある教師が「追悼の日に赤飯だなんて、不謹慎だ!」ということで問題になったようです。

 

 

そういえば、5年前、あの震災の直後には「お祝い事」「慶事」に関しては「こんな大変な時にお祝い事などしていられない」と、折からの「節電」やら「自粛」ムードでいろいろな派手派手しいお祝い事を控えるような動きがありました。何かと「不謹慎だ!」という人たちと、「いちいちなんでもかんでも不謹慎だ!という人たちがウザい!」というところで対立していたように思います。それが5年経ってもこんなことになっているとはなぁ…と思いました。

 

 

もちろん、中学を卒業する子たちだって当時小学校4年生くらいだったでしょうから記憶にありますでしょうし、どんな日だかわかっているはずです。だけども、被災地でもないところで、「偶然」この日に最後の給食が重なってしまったことは仕方のないことかと思います。食材も発注してしまったそうで、ほかの日にすることもできず、困惑しているそうです。それに「中学を卒業する」というのは義務教育の終わりでもあり、これからは高校に進んで、必ずしも地元ではなく遠く離れた学校に進む子もいますでしょうし、地元の友達とも食べる最後の給食でもあります。

 

 

先生たちにとっては3年間成長を見守った生徒たちが新たなところへ旅立つという節目でしょうし、親御さんにとっては「子育てのひとつの区切り」になるところかとも思います。それをお祝いされないというのは生徒たちにとってはどんなにつらいことか、後々まで残ることになりかねません。

 

 

もちろん、あれだけの大災害が起こった忘れられない日でもありますし、教訓にして前に進んでいかなければいけない日でもあります。そしてあの日一瞬にして奪われた命、そして震災に関連して亡くなった命のことを覚えて祈る日でももちろんあります。こうして電気がともり、ネットができ、温かいご飯を食べることができることに感謝し、そしてまた歩みを新たにする…という区切りの日だと私は思っています。そして被災地域の復興と、原発事故のいち早い解決・収束、そして離れ離れになっている人たちが元に戻り、故郷に戻れない人たちが故郷に戻れるよう願うばかりであります。